水野 忠武(みずの ただたけ)は、駿河沼津藩の第4代藩主。沼津藩水野家11代。
文政7年(1824年)7月12日、第3代藩主水野忠義の次男として江戸浜町屋敷で生まれる。文政8年(1825年)に兄の惣兵衛が早世したため、天保5年(1834年)6月6日に世子として指名された。天保10年(1839年)12月18日に従五位下、大和守に叙任する。天保13年(1842年)、父の死去により家督を継ぎ、出羽守に転任する。
おりしも幕府では水野忠邦による天保の改革が始まり、祖父の水野忠成による幕政を否定する忠邦による粛清として、三河における新田開発など、様々な手伝い普請を幕命によって命じられ、藩財政難に陥った。
天保15年(1844年)7月10日に江戸外桜田屋敷で死去した。享年21。跡を弟で養子の忠良が継いだ。
系譜
父母
正室
養子
水野氏 沼津藩4代藩主 (1842年 - 1844年) |
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大久保家 | |
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水野家 | |
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