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石川光尚

 
石川 光尚
時代 江戸時代
生誕 寛政元年4月29日1789年5月23日
死没 文化元年2月27日1804年4月7日
別名 深力
戒名 旭照院殿青山実英大居士
墓所 長泉寺(宮城県角田市
主君 伊達周宗
仙台藩
氏族 角田石川家
父母 父:石川村任、母:藤姫(伊達村良の娘)
兄弟 光尚宗光
養子:宗光
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石川 光尚(いしかわ みつなお)は、江戸時代武士仙台藩一門筆頭・角田石川家第11代(陸奥石川氏第35代)当主。

生涯

明和5年(1769年)11月29日、角田石川家第10代当主・石川村任の次男として生まれる。幼名は深力

寛政11年(1799年)元服して光尚と名乗る。享和元年(1801年)8月、石川俊明(9代村文庶兄)一味が引き起こしたお家騒動の責めを負って父村任が隠居したため、家督を相続し角田邑主となる。

文化元年(1804年)2月27日、天然痘のため[1]死去。享年16。家督は弟の左源太(宗光)が相続した。

脚注

  1. ^ 『石川郡誌』(福島県石川郡役所、1923年)37頁

参考文献

  • 『源流無尽』
先代
石川村任
陸奥石川氏(角田石川家)
第35代(第11代):1801 - 1804
次代
石川宗光
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