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第五号駆潜艇

第五号駆潜艇
基本情報
建造所 三菱重工業横浜船渠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆潜艇
級名 第一号型駆潜艇
建造費 1,579,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 ③計画
起工 1938年1月25日
進水 1938年7月28日
竣工 1938年12月6日
最期 1946年7月11日海没処分
除籍 1946年8月10日
要目(竣工時)
基準排水量 291トン
全長 56.20m
最大幅 5.60m
吃水 2.10m
機関 艦本式22号6型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 2,600hp
速力 20.0ノット
燃料 重油 20トン
航続距離 14ノットで2,000カイリ
乗員 定員59名
兵装 40mm機銃 連装1基
九四式爆雷投射機2基
爆雷36個
搭載艇 短艇2隻
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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第五号駆潜艇[注釈 1](だいごごうくせんてい)は、日本海軍駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の2番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の5番艇。

艇歴

③計画の300トン型駆潜艇、仮称艦名第65号艦として計画。1938年1月25日、三菱重工業株式会社横浜船渠で建造番号303番船として起工。5月28日、第五号駆潜艇と命名され、特務艇/駆潜艇/第一号型の5番艇に定められる。7月28日進水。12月6日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、佐世保防備隊附属に編入。

1940年11月15日、艦艇類別等級と特務艇類別等級の改正により、特務艇の駆潜艇から艦艇の駆潜艇となり、本籍を佐世保鎮守府に定められる。同日第4号駆潜艇、本艇、第6号駆潜艇の3隻で第二十一駆潜隊を新編し、第二艦隊第一根拠地隊に編入。1941年3月まで内地で訓練に従事(以下、1942年5月1日まで特記無き限り第二十一駆潜隊の行動)。

1941年1月15日、第二艦隊第二根拠地隊に編入。3月25日に訓練を終え中支沿岸に出撃し、交通遮断に従事。4月10日、第三艦隊第二根拠地隊に編入。6月10日、支那方面艦隊作戦指揮下に編入。7月15日から8月まで軍隊区分ふ号艦隊第一護衛隊に配され、ふ号作戦では船団護衛やカムラン湾の警戒に従事。ふ号作戦終了後、支那方面艦隊作戦指揮を解かれて第二根拠地隊指揮下に復帰。8月27日に佐世保へ帰還し訓練と警戒に従事。10月1日、第二十一駆潜隊に第16号駆潜艇第17号駆潜艇第18号駆潜艇の3隻が編入され6隻編制となった。11月26日、寺島水道を発し、30日馬公着。

太平洋戦争の開戦時は軍隊区分菲島部隊第二急襲隊に配され、第四水雷戦隊司令官の指揮下で行動。12月7日に馬公を出撃しビガン攻略に従事。10日、ビガン沖で警泊中に空襲を受け、本艇は戦闘機3機からの機銃掃射により14名の負傷者を出した。12日、ビガン泊地の警戒任務を解かれ高雄へ回航。18日から24日までリンガエン攻略に従事し、続けてダバオの攻略に従事。

1942年1月24日からは厳島に座乗した第二根拠地隊司令官の直接指揮下でボルネオ島南東部の攻略に従事。3月10日、第二南遣艦隊第二十二特別根拠地隊に編入。5月1日、本艇は第4号駆潜艇、第6号駆潜艇とともに第二十一駆潜隊から除かれ、第二十二特別根拠地隊附属に編入された。以後、沈没するまで第二十二特別根拠地隊附属から転出せず、マニラからボルネオ島南東部にかけての船団護衛、哨戒等に従事した。11月11日、第二十三特別根拠地隊の特設敷設艦新興丸がマカッサル海峡セレベス海側出口北緯01度19分 東経119度40分 / 北緯1.317度 東経119.667度 / 1.317; 119.667の地点で潜水艦による雷撃を受け、本艇は対潜制圧を行い爆雷を20個投射。これはアメリカ潜水艦「トートグ」であった[1]

1943年1月15日、バリクパパン東沖20カイリ南緯01度16分 東経117度07分 / 南緯1.267度 東経117.117度 / -1.267; 117.117の地点で、17日にも同地点で、25日には南緯01度16分 東経117度06分 / 南緯1.267度 東経117.100度 / -1.267; 117.100の地点でそれぞれ爆雷戦を行う。

1944年10月25日、M246船団(5隻[注釈 2])を第31号駆潜艇と護衛しマニラへ向けタラカン発。29日、パラワン島プエルト・プリンセサに寄港。ここで座礁のため出港が遅れていた海軍徴傭船第十二雲海丸と護衛の第2号哨戒艇が船団に合流。11月1日、ミンドロ島北緯12度57分 東経120度12分 / 北緯12.950度 東経120.200度 / 12.950; 120.200の地点でアメリカ潜水艦レイブラックフィンの攻撃を受け第七蓬莱丸、第十二雲海丸、カロリン丸が撃沈された。残った船艇は同日マニラに入港した。

1945年1月9日、ボルネオ島西方で被雷し損傷。スラバヤで修理を行う。終戦時はジャカルタに所在。

1946年7月11日、シンガポール島ケッペル港南方でイギリス海軍により海没処分。8月10日、帝国駆潜艇籍から除かれた。

駆潜艇長

艤装員長
  1. 南祝 大尉:1938年9月20日 - 1938年12月6日
駆潜艇長[注釈 3]
  1. 渡邊芳郎 大尉:1940年11月15日 - 1941年9月10日
  2. 山根權 大尉:1941年9月10日 - 1942年5月1日
  3. 永末浅吉 予備大尉/大尉:1942年5月1日 - 1944年5月20日
  4. 渡邊正好 大尉:1944年5月20日 -

脚注

注釈
  1. ^ 本来の艇名表記は第五號驅潛艇。以下、「第五号駆潜艇」の表記部について同じ。
  2. ^ 第十一高砂丸、第八南進丸、第一南興丸、第七蓬莱丸(以上、船舶運営会海軍配当船)、カロリン丸(徴傭種類不明)。
  3. ^ 昭和15年11月15日付 達 第256号による艦船職員服務規程第1条の改正で駆潜艇長が新設されるまでは、本艇に限らず駆潜艇の艇長は公式には存在しない。

参考文献

  • 海軍省
    • 法令、令達、命令
      • 昭和12年7月20日付 内令第347号。
      • 昭和13年5月28日付 達第88号、内令第418号。
      • 昭和13年12月6日付 内令第1072号。
      • 昭和13年12月15日付 内令第1148号。
      • 昭和15年11月15日付 達第256号、内令第836号。
      • 昭和16年10月1日付 内令第1164号。
      • 昭和17年5月1日付 内令第774号。
    • 人事発令
      • 昭和13年9月21日付 海軍辞令公報(部内限)号外 第241号。C13072074300
      • 昭和13年12月7日付 海軍辞令公報(部内限)号外 第270号。C13072074800
      • 昭和15年11月15日付 海軍辞令公報(部内限)第555号。C13072079400
      • 昭和16年9月10日付 海軍辞令公報(部内限)第708号。C13072082000
      • 昭和17年5月1日付 海軍辞令公報(部内限)第852号。C13072085300
      • 昭和19年5月20日付 海軍辞令公報(部内限)第1475号。C13072098200
    • 戦時日誌、功績調査、その他
      • 第二十一駆潜隊支那事変第九回功績概見表。
      • 第二十一駆潜隊支那事変第十回功績概見表。
      • 第二根拠地隊戦時日誌。
      • 菲島部隊第二急襲隊/第四水雷戦隊戦闘詳報。
      • 第二十三特別根拠地隊戦時日誌。
  • 復員庁第二復員局
    • 法令、令達
      • 昭和21年8月10日付 復二第157号。
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 『新造船建造史』、三菱重工業株式会社横浜製作所、1988年。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 『戦史叢書』、朝雲新聞社。
    • 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、1969年。
    • 第39巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(4) -第三段作戦前期-』、1970年。
    • 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、1971年。
    • 第71巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(5) -第三段作戦中期-』、1974年。
    • 第77巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(3) -昭和十八年二月まで-』、1974年。
    • 第80巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(2) -昭和十七年六月まで-』、1975年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。
  • 木俣滋郎『潜水艦攻撃 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2289-8
  1. ^ 潜水艦攻撃、204-205ページ
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