肝付 兼興(きもつき かねおき)は、戦国時代の武将。肝付氏15代当主。大隅国高山城主。
略歴
明応元年(1492年)、14代当主・肝付兼久の子として生まれる。大永3年(1523年)、父の死去により家督を継ぐ。
薩摩国の島津氏とは縁戚関係を結んでいたが、大永4年(1524年)、島津氏の分家である「豊州家」の岳父・島津忠朝から同族北原氏の居城であった大隅の串良城を奪還した。その後、居城を高山城に移し、島津氏と幾度も抗争して勢力拡大に努めたが、天文2年(1533年)に死去。享年42。
死後、子・兼続と兼興の弟・兼親(兼執)の間で家督争いが起こり、兼続が勝利して相続することとなる。