酒井 忠順(さかい ただとし)は、庄内藩酒井家の公子。酒井忠温の庶長子。出羽松山藩5代藩主酒井忠禮の実父。
経歴
宝暦2年(1753年)12月、後に庄内藩6代藩主となる酒井忠温の庶長子として江戸に生まれる。
父が正室に為姫(福岡藩主黒田継高の娘)を迎える前の出生のために、為姫の子で嫡出の実弟忠徳の弟とされる。成長すると、庄内藩から2千石を与えられ、江戸に居住した。21人もの子沢山で、暮らし向きに困窮してたびたび、藩主の忠徳から金品の援助を受けた[1]。
寛政5年(1793年)12月、次男忠質が、旗本酒井忠敬の養子となる。寛政6年(1794年)4月、長男忠禮が、松山藩4代藩主忠崇の婿養子となり、寛政10年(1798年)11月に藩主となる。
文政7年(1824年)死去。享年70。
天保13年(1842年) 、酒井右京、松平舎人、酒井奥之助ら家老が、藩主忠発を廃立し、忠順の孫(忠質の子)忠明を新藩主とする企てが発覚した。忠明は松山藩に送られ幽閉された。
脚注
- ^ 佐藤三郎著『庄内藩酒井家』
参考文献