鈴木 重武(すずき しげたけ)は、平安時代中期の武将。穂積姓、藤白鈴木氏の当主。父は重実、母は侍従・藤原定時の娘。官位は掃部允。
長元元年(1028年)の6月に前上総介・平忠常が謀反を起こした際、追討のため中原成道に随行して東国に下向した。永承7年(1052年)9月15日に81歳で没した。
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