汤浅仓平(日语:湯浅 倉平/ゆあさ くらへい Yuasa Kurahei,1874年2月1日—1940年12月24日),是日本内务官僚、政治家、贵族院议员和正二位男爵。他作为宮中阵营的稳健派[1]曾在1933年至1936年间担任宫内大臣,之后转任内大臣[2]。
参考来源
- ^ ただし、上記の宮内大臣就任に際して、立憲政友会からは、「湯浅氏は民政党系の人で貴族院においても相当政党的に活動した人」と批判を受けたことはある(湯浅の属していた同成会は親民政党系会派とみられていた)。1933年2月16日付『東京朝日新聞』
- ^ 『一軍人の生涯 提督・米内光政』(緒方竹虎著、文芸春秋新社)によれば、町野武馬(陸軍大佐、張作霖顧問)と湯浅が対談した際、町野が陸軍批判をしたところそれ以上の陸軍批判を行った。その場限りの話にしようとした町野に対し湯浅は「陸軍省でこのままお話になっても一向に差支えない」と答えた。町野は湯浅を「生きた英雄」と語っている。
外部链接