莲如(日语:蓮如/れんにょ Rennyo */?,1415年4月4日—1499年5月5日)古日本室町时代净土真宗僧人,本愿寺中兴之祖,幼名布袋丸、幸亭丸讳称兼寿,尊称莲如上人,谥号慧灯大师,呼号本愿寺莲如。
生平
1415年4月13日(应永22年2月25日)[1],莲如出生于京都东山,他是第七世存如的长子,母亲身份不明,幼名“布袋丸”。[2]
1431年(永享3年),17岁的莲如在青莲院剃度,名“中纳言兼寿”。
1442年(嘉吉2年),莲如开始在寺院中宣扬净土真宗的教义,1499年(明应8年)2月20日,莲如圆寂。
著作
亲属
- 第1夫人:如了(1424年 - 1455年) - 伊势贞房之女儿
- 1男:顺如(1442年 - 1483年) - 河内出口光善寺开基
- 1女:如庆(1446年 - 1471年) - 京都常乐寺莲觉光信室
- 2男:莲乘(1446年 - 1504年) - 兼镇、越中井波瑞泉寺、加贺若松本泉寺
- 2女:见玉(1448年 - 1472年) - 京都摄受庵见秀尼弟子
- 3男:莲纲(1450年 - 1531年) - 兼祐、加贺波佐谷松冈寺开山宗长、鲇蔵坊开山宗长
- 3女:寿尊(1453年 - 1516年) - 京都摄受庵见秀尼弟子、后驻锡于摄津富田教行寺
- 4男:莲誓(1455年 - 1521年) - 加贺滝野坊、九谷坊、山田光教寺、越中中田坊开基
- 第2夫人:莲祐(1438年 - 1470年) - 伊势贞房之女儿、如了的妹妹。
- 5男:实如(1458年 - 1525年) - 本愿寺第9世
- 4女:妙宗(1459年 - 1537年) - 知恩院椿性禅尼弟子、左京义政妾
- 5女:妙意(1460年 - 1471年) - 早逝
- 6女:如空(1462年 - 1492年) - 越前大谷兴行寺莲助兼孝室
- 7女:祐心(1463年 - 1490年) - 白川资氏王室
- 6男:莲淳(1464年 - 1550年) - 近江大津显证寺、河内久宝寺显证寺、伊势长岛愿证寺开山宗长
- 8女:了忍(1466年 - 1472年) - 早逝
- 9女:了如(1467年 - 1541年) - 越中井波瑞泉寺莲钦妾
- 7男:莲悟(1468年 - 1543年) - 加贺崎田坊、中头坊、清沢坊、若松本泉寺创建
- 10女:祐心(1469年 - 1540年) - 中山宣亲室、第11世显如之祖母
- 第3夫人:如胜(1448年 - 1478年)
- 11女:妙胜(1477年 - 1500年) - 山城胜林坊胜林坊胜恵妾
- 第4夫人:宗如(? - 1484年) - 姊小路基纲之女儿
- 12女:莲周(1482年 - 1503年) - 越前超胜寺莲超室
- 8男:莲芸(1484年 - 1523年) - 摄津富田教行寺、摄津名盐教行寺
- 第5夫人:莲能(1465年 - 1518年) - 甾山政荣之女儿
- 13女:妙祐(1487年 - 1512年) - 山城胜林坊胜恵室
- 9男:实贤(1490年 - 1523年) - 近江坚田称徳寺
- 10男:实悟(1492年 - 1583年) - 全名实悟兼俊,又称愿得寺兼俊。河内古桥愿得寺住持
- 11男:实顺(1494年 - 1518年) - 河内久宝寺西证寺
- 12男:实孝(1495年 - 1553年) - 大和饭贝本善寺
- 14女:妙宗(1497年 - 1518年) - 京都常乐寺实乘光恵室
- 13男:实从(1498年 - 1546年) - 河内枚方顺兴寺
参考文献
参考文献
- ^ 公历换算。本願寺派では、グレゴリオ暦に換算した生没年を用いる。
- ^ 高山秀夫. 《江戸から東京へ 物語でつづる部落の歴史》. 文理閣. 1977年: 6页 (日语).
外部链接
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東西分立後直到1987年為止都是一同以「本願寺」為正式名稱。 略稱 - 「 西」= 本願寺派、「 東」= 大谷派、「 東本」= 東本願寺派、「 東山」=(東山上花山)本願寺、「 嵯峨野」=(嵯峨野)本願寺 |