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にぎつ丸

にぎつ丸
基本情報
建造所 播磨造船所
運用者  大日本帝国陸軍
大日本帝国の旗 日本海運
艦種 特種船丙型揚陸艦
艦歴
起工 1942年(昭和17年)3月10日
進水 1942年(昭和17年)11月28日
竣工 1943年(昭和18年)3月30日
最期 1944年(昭和19年)1月12日戦没
要目
排水量 9,547トン[1]
全長 143.7m
最大幅 19.5m
吃水 7.857m
機関 三胴式水管重油専焼水管缶4基
石川島製二段減速ギヤード・タービン2基2軸
出力 最大13,435hp
速力 最大20kt
兵装 新造時
八八式 7.5cm 単装高射砲(特)2基
基筒式三八式 7.5cm 野砲10基
九六式二十五粍高角機銃6基
水中聴音機
搭載艇 上陸用舟艇大発動艇[注釈 1]
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にぎつ丸(にぎつまる)は[3]大日本帝国陸軍陸軍特種船[4]。漢字表記では饒津丸となる[5]

概要

にぎつ丸は、日本陸軍が建造・運用した揚陸艦上陸用舟艇母船)[4]。陸軍特種船あきつ丸の姉妹艦[6]。本艦も航空機を搭載できる特種船 丙型丙型特種船)に分類されているが、航空艤装の設置がない甲型相当の艦艇であった[注釈 2]1943年(昭和18年)3月に竣工後、輸送任務に従事[7]1944年(昭和19年)1月12日、駆逐艦天霧(第三水雷戦隊)に護衛されてパラオから内地へ帰投中[8]沖縄東方海面において[5]、米潜水艦ヘイクの雷撃により沈没した[2]

艦歴

「にぎつ丸」は1943年(昭和18年)3月に播磨造船所で竣工[7]。日本海運株式会社所有で、これを日本陸軍が徴用するという形式をとった[7]。竣工後の「にぎつ丸」は、帝国陸軍船舶部隊の根拠地であり陸軍運輸部の本部(のちに兼船舶司令部)も置かれている母港たる広島県宇品宇品港)に移動した。4月12日、戦車第八連隊などを積載し、宇品を出撃[7]哨戒艇31号に護衛されて豊後水道を通過(哨戒艇護衛は途中まで)[9]。パラオを経由して、5月3日ラバウルに到着した[7]。その後はパラオラバウルと宇品を往復し、主として航空機の輸送を行った[7]

7月、日本軍は東部ニューギニア島の連合軍飛行場をパラシュート部隊で占領する計画を立案し、作戦参加部隊(日本陸軍挺進連隊)の一部を「にぎつ丸」が運ぶことになった[7]7月6日、内海西部に陸軍特種船2隻(にぎつ丸、あきつ丸)が揃う[10]7月7日、輸送船3隻(にぎつ丸、青葉山丸、東亜丸)は護衛艦2隻(駆逐艦海風、敷設艇怒和島《途中まで》)と共に「オ七〇三」船団を編成し、瀬戸内海を出撃[11][12]。 13日パラオ到着、挺進連隊1,200名は下船した[13]。「にぎつ丸」は輸送任務のため東進し、7月18日ラバウルに到着[13]。内地帰投後、九州 - パラオ間の輸送任務に従事した[13]

10月13日[14]、「オ三〇二船団」の3隻(駆逐艦春風、陸軍特種船〈にぎつ丸、摩耶山丸〉)は佐伯を出撃[15][16]。18日、パラオ着[16][17]。 10月22日、「フ二〇二船団」(春風、にぎつ丸、摩耶山丸)はパラオを出撃[18][19]。27日、船団は瀬戸内海に到着した[18][20]

11月、「にぎつ丸」は台湾やフィリピン方面への輸送に従事した[13]。 12月31日、「にぎつ丸」は海防艦壱岐[21]、駆潜艇34号[13]と共に「オ一〇一船団」を編成して佐伯を出撃する[22][23]1944年(昭和19年)1月6日パラオに到着した[13][24]。壱岐は別の船団(フ203船団)の護衛に従事することになった[25][26]

沈没

1月9日午前9時[27][28]、約2,000人の兵士が乗る「にぎつ丸」と吹雪型駆逐艦天霧(駆逐艦長花見弘平少佐)からなる「フ901船団」は[28]パラオを出発し[29]、日本(宇品)へ向かった[5][30][注釈 3]

1月12日午後7時頃[33]沖大東島近海(北緯23度15分 東経132度51分 / 北緯23.250度 東経132.850度 / 23.250; 132.850の地点)[34]アメリカ海軍潜水艦ヘイク (USS Hake, SS-256) が発射した魚雷4本のうち2本が「にぎつ丸」に命中した[35]。本船は間もなく沈没した[36]。 天霧[37]や各艦・各部隊は生存者の救助をおこなう[38]。兵員456名、船砲隊83名、船員35名、計574人が戦没した。

脚注

注釈

  1. ^ 『世界の艦船、日本航空母艦史』(1994年)180ページでは、九七式中戦車搭載の特大発動艇12隻、大発動艇13隻、特大発動艇(戦車なし)7隻とする[2]
  2. ^ 『世界の艦船、日本航空母艦史』(1994年)180ページでは「甲型と乙型は舟艇専用だが、丙型およびM丙型の合計4隻(あきつ丸にぎつ丸熊野丸ときつ丸)が飛行甲板を持ち飛行機を搭載できる。」と記述する[2]
  3. ^ 陸軍部隊の中には第15軍の部隊も含まれていた[31][32]

出典

  1. ^ #喪失一覧(2) p.34〔昭和19年1月(1944年)A〕『12|a|にぎつ丸|9,547|日本海運|雷撃|沖大東島沖23-15N 132-51E』
  2. ^ a b c 世界の艦船、日本航空母艦史 1994, p. 180.
  3. ^ 高松宮日記7巻 221頁〔 ○にぎつ丸 〕
  4. ^ a b 世界の艦船、日本航空母艦史 1994, pp. 179–180▼秋津丸と饒津丸
  5. ^ a b c #遭難部隊資料(陸軍)(2) p.34〔 番號:58|船名(總屯数):饒津(九,五四七)|事故年月日(程度):一九.一.一二(沈没)|事故場所(原因):N二三.三〇 E一三二.五一沖縄東方(潜)|出港地 同年月日:パラオ 一九.一.九|目的港:宇品|乗船部隊(乗船地):12PS(長 南部大佐) 15 野勤本部 12 〃 22 〃 陸上勤務?中隊(五〇~六〇) 計約一五〇〇 パラオ乗船|損害:生死不明 部隊四四〇 便乗一六|輸送指揮官:大佐 南部薫|摘要:(空欄)|〕
  6. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 536a-537にぎつ丸の竣工(三月)
  7. ^ a b c d e f g 日本空母戦史 1977, pp. 536b-537.
  8. ^ #S19.01船舶(沈没) p.3(19-1)〔 12|1901|沖ノ大東島SE約130′|にぎつ丸|陸軍|九五四七|陸軍|天霧|護衛艦ハ掃蕩竝ニ救難ニ從事|内地 〕
  9. ^ #S17.12呉防戦日誌(7) p.8(四月中ニ於ケル重要船舶豊後水道出入竝ニ當防備戰隊ニテ護衛セル状況左ノ通)〔 一九|にぎつ丸|哨戒三一|佐伯→N29°線| 〕
  10. ^ #S18.06呉防戦日誌(3) pp.8-9〔 (8)掃蕩概要 〕
  11. ^ #S18.06呉防戦日誌(3) pp.5-6〔 (7)護衛概要|七|オ七〇三船團(にぎつ、青葉山、東亜丸)|海風/佐伯→PP/怒和島/佐伯→N29°|對潜特別掃蕩実施 〕
  12. ^ #S18.06呉防戦日誌(3) pp.15-16〔 五日〇九四三呉防戰司令官(宛略)呉防戰機密第〇五〇九四三番電 電令作第二五三號 〕
  13. ^ a b c d e f 日本空母戦史 1977, pp. 538–539.
  14. ^ #18.06呉防戦日誌(8) p.30〔 一三(天候略)一.オ三〇二船団佐伯發(春風護衛開始)(以下略) 〕
  15. ^ #18.06呉防戦日誌(7) pp.9-10〔 (四)麾下艦船部隊行動 〕(昭和18年10月)
  16. ^ a b #18.06呉防戦日誌(7) p.13(護衛概要)〔 一八|オ三〇二船団〔十月十三日佐伯発〕|春風|佐伯→パラオ| 〕
  17. ^ #18.06呉防戦日誌(8) p.4〔 十八日一二三五 春風(宛略)春風機密第一八一二三五番電発春風艦長 オ三〇二船団パラオ西口着 〕
  18. ^ a b #18.06呉防戦日誌(7) p.13(護衛概要)〔 二七|フ二〇二船団〔十月二十二日PP発〕|春風|パラオ→佐伯| 〕
  19. ^ #18.06呉防戦日誌(8) pp.9-10〔 二十二日一二〇七 2KEg(司令官)(宛略)二海護パラオ機密第二二一二〇七番電 フ二〇二船団A船摩耶山丸 にぎつ丸〔宇品〕護衛艦春風二十二日一〇〇〇パラオ西口發速力十六節(以下略) 〕
  20. ^ #18.06呉防戦日誌(8) p.15〔 二十七日〇七一五 春風(宛略)春風機密第二七〇七一五番電 發春風艦長 フ二〇二船団深島着 〕
  21. ^ #S18.12呉防戦日誌(1) pp.9-10〔 (四)麾下艦船部隊行動 〕(昭和18年12月)
  22. ^ #S18.12呉防戦日誌(2) p.11(護衛概要)〔 六|オ一〇一船団(十二月三十一日佐伯発)|壱岐|佐伯→パラオ| | 〕
  23. ^ #S18.12呉防戦日誌(2) pp.17-18〔 一日〇八三二呉防戰司令官(宛略)呉防戰機密第〇一〇八三二番電 一.オ一〇一船団A船にぎつ丸(重要船舶パラオ止)三十一日〇六〇〇佐伯発五日一五〇〇パラオ西口着ノ予定 實速力十三節 壱岐護衛(以下略) 〕
  24. ^ #S18.12呉防戦日誌(2) p.20〔 六日一二三七(宛略)壱岐機密第〇六一二三七番電 オ一〇一船団西水道ヲ通過ス 〕
  25. ^ #S18.12呉防戦日誌(2) pp.9-10〔 (四)麾下艦船部隊行動 〕(昭和19年1月)
  26. ^ #S18.12呉防戦日誌(2) p.13(護衛概要)〔 二四|フ二〇三船団(一月十二日PP発)|壱岐/パラオ→深島/怒和島/N28°→深島|朝鮮丸雷撃ヲ受ケ沈没ス| 〕
  27. ^ #S18.12三水戦日誌(6) p.61(昭和19年1月)〔 九(天候略)一.文月〇八〇〇「トラツク」着/二.天霧にぎつ丸護衛〇九〇〇呉ニ向ケ「パラオ」發(以下略) 〕
  28. ^ a b #S18.12呉防戦日誌(2) p.27〔 九日一六三四 2KEg(司令官)パラオ方面|十日〇七二五(司令官)(宛略)|二海護パラオ機密第〇九一六三四番電 フ九〇一船団A船にぎつ丸〔宇品〕護衛艦天霧一月九日〇九〇〇西口発速力一四節 A点二〇度〇〇分E一三二度一四分 B点〃三〇度四〇分〃一三四度二〇分 ヲ経テ十四日一五三〇深島着 〕
  29. ^ 海軍兵科将校 1985, pp. 52a-55「天霧」もまた
  30. ^ #S18.12三水戦日誌(5) p.12〔 自一月九日 至一月十五日 天霧 にぎつ丸自「パラオ」至呉間護衛 〕
  31. ^ #にぎつ丸報告 p.1〔 にぎつ丸|19.1.12|北12Ps/ビルマ15野戰勤務隊本部/120 同/22野戰勤務隊本部/1shp p|船司| }440| 〕
  32. ^ #第15野戦勤務隊本部 p.2〔 一.昭和十九年一月十二日輸送船饒津丸(九八三九)太平洋上北緯二二度三分東経一三二度五一分ノ地点(ラサ島東南約三〇〇粁)ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ沈没ノ際将校二、下士官一、兵四名生死不明トナル(昭和十九年十一月十八日死亡ヲ確認ス 〕
  33. ^ 昭和19年1月1日〜15日経過概要 p.36(昭和19年1月)〔 12|1901|にぎつ丸(陸軍9547t)「パラオ」ヨリ豊後水道ヘ航行中「沖ノ大東島」ノ南東約130′ニ於テ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|内地|沈没 護衛艦天霧掃蕩竝ニ救難ニ從事 〕
  34. ^ #S18.12呉防戦日誌(2) p.4〔 一二|一九〇〇|二三-一五|一三二-五一|雷撃にぎつ丸沈没ス 〕
  35. ^ IJA Landing Craft Depot Ship Nigitsu Maru: Tabular Record of Movement”. combinedfleet.com. 22 August 2017閲覧。
  36. ^ #S18.12呉防戦日誌(2) p.34〔 十三日〇三一〇呉鎭(長官)(宛略)呉鎭機密第一三〇〇三五番電 十二日一九〇〇北緯二三度一五分東経一三二度五二分ノ地点ニ於テにぎつ丸敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ一九二五沈没附近天霧制圧中ナルモ貴隊ノ協力ヲ得度 〕
  37. ^ 海軍兵科将校 1985, pp. 52b-55.
  38. ^ #S18.12呉防戦日誌(2) p.35〔 十三日一二〇〇呉鎭(長官)|十三日一四〇〇天霧艦長 呉防戰(司令官)|呉鎭機密第一三一二〇〇番電 呉囘航ノ途次宇品ニ寄港にぎつ丸遭難者ヲ同地ニテ揚陸セシメラレ度 〕、同部隊同月戦時日誌 p.36〔 十三日一七五〇呉防戰司令官(宛略)呉防戰機密第一三一七五〇電 電令第一五〇號 十二日一九〇〇N二三度一五分E一三二度五一分ニ於テにぎつ丸遭難沈没人員ハ天霧ニ収容セルモ其ノ後飛行機偵察ニ依レバ人員ハ尚約三〇名漂流中 怒和島ハ二八度線ニ至ラバ船団ヨリ分離シ右遭難現場ニ急行人員救助並ニ要スレバ重要浮流物件ノ揚収ニ任ズベシ 〕

参考文献

  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。 
  • 駆逐艦「天霧」先任将校志賀博『海軍兵科将校』光人社、1985年3月。ISBN 4-7698-0264-1 
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡幸二「秋本實 陸軍の空母」『世界の艦船 日本航空母艦史 1994.No.481』株式会社海人社〈1994年5月号増刊 第481集(増刊第40集)〉、1994年5月。ISBN 4-905551-48-X 
  • 高松宮宣仁親王、嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第七巻 昭和十八年十月一日〜昭和十九年十二月三十一日』中央公論社、1997年7月。ISBN 4-12-403397-4 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和16年〜20年 喪失船舶一覧表(2)』。Ref.C08050010000。 
    • 『昭和19.1.1〜昭和19.3.31 太平洋戦争経過概要 その7/第三段作戦19年1月1日〜19年1月15日』。Ref.C16120638400。 
    • 『昭和19.1.1〜昭和19.3.31 太平洋戦争経過概要 その7/第三段作戦(船舶被害「沈没」)19年1月1日〜19年1月31日』。Ref.C16120638800。 
    • 『昭和17年12月1日〜昭和18年5月31日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。Ref.C08030367700。 
    • 『昭和18年6月1日〜昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030368300。 
    • 『昭和18年6月1日〜昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。Ref.C08030368700。 
    • 『昭和18年6月1日〜昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。Ref.C08030368800。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030369400。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030369400。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030107000。 
    • 『船舶輸送艦における遭難部隊資料(陸軍)(防衛省防衛研究所)船舶輸送艦における遭難部隊資料(陸軍)(1)』。Ref.C08050112500。 
    • 『船舶輸送艦における遭難部隊資料(陸軍)(防衛省防衛研究所)船舶輸送艦における遭難部隊資料(陸軍)(2)』。Ref.C08050112600。 
    • 『緬甸部隊史実資料 1/3 昭和21.8調製(防衛省防衛研究所)緬甸部隊史実資料 3分冊の1/35 戦史資料調査表 第15野戦勤務隊本部』。Ref.C14060248700。 
    • 『遭難船舶乗船部隊上申調(防衛省防衛研究所)飛鳥19年1月10日~ 常盤19年4月27日』。Ref.C16120694200。 

関連項目

外部リンク

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