ひめゆりの塔 (1953年の映画)
『ひめゆりの塔』(ひめゆりのとう)は、1953年(昭和28年)1月9日公開の日本映画である。東映製作・配給[1]。監督は今井正。モノクロ、スタンダード、130分。 沖縄戦で看護婦として前線に立ったひめゆり学徒隊の悲劇を描いた戦争映画。戦争批判とセンチメンタリズムが盛り込まれた作品は配給収入1億8000万円という大ヒットを記録し、倒産の危機にあった東映を救った[4]。第27回キネマ旬報ベスト・テン第7位。1982年(昭和57年)に同脚本・同監督によりリメイク版が公開された。 あらすじ1945年(昭和20年)3月、米軍が沖縄上陸作戦に着手するなか、艦砲射撃と艦載機の機銃掃射が続く沖縄。ひめゆり部隊と呼ばれ陸軍病院に配属された女子学生たちは、黙々と任務を遂行していく。卒業式も壕のなかで行われる。いよいよ米軍が迫ってくるなか、軍はいち早く退却。女子学生たちは丸腰で逃げ続けるしかなかった。 キャスト
スタッフ作品解説作品は、東映のプロデューサーマキノ光雄が周囲の反対を押し切り、「俺は、右でも左でもない。大日本映画党だ」と言い放って[6]、左翼系の映画人だった今井正監督を起用して製作された。配給収入は1億7659万円で、1952年度(1952年4月 - 1953年3月)の興行成績で第1位となる大ヒット作となった。 沖縄は米軍に占領されていたため沖縄ロケは出来ず、撮影所の野外セットと千葉県銚子市の海岸でのロケで撮影された[7]が、原作の石野径一郎著『ひめゆりの塔』はもちろん、仲宗根政善著『沖縄の悲劇』、沖縄タイムス掲載『沖縄戦記』などの資料を駆使し、波平暁男ら沖縄民謡の編曲、舞踊振付の専門家を付けて製作された。 円谷英二が特撮を手掛けたとされるが、本作品では特撮関連のクレジット表記がなく、詳細は明らかになっていない[注釈 3][1]。 出演者の土屋嘉男によれば、劇団俳優座の研究生として土屋のほか、安井昌二、宇津井健、仲代達矢らが傷病兵役で出演していた[5]。土屋は、仕事というよりも映画の勉強をさせてもらったといい、土屋自身は遊び感覚であったという[5]。 受賞
関連作品
脚注注釈出典
参考文献
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