アントニオ・マクダイス
アントニオ・マクダイス(Antonio Keithflen McDyess, 1974年9月7日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州クウィットマン出身の元バスケットボール選手。NBAのデンバー・ナゲッツ、フェニックス・サンズ、ニューヨーク・ニックス、デトロイト・ピストンズ、サンアントニオ・スパーズに所属していた。身長206cm、体重111kg。ポジションはPF。 経歴1995年のNBAドラフトで、アラバマ大学からロサンゼルス・クリッパーズに全体2位で指名された後、そのままデンバー・ナゲッツへトレードされた。爆発的な身体能力を生かして1997年、フェニックス・サンズへトレードされたが、1年でFAとなりナゲッツへ戻った。2000年にシドニーオリンピックアメリカ代表に選出。金メダル獲得チームの一員となった。2000-01シーズンには20.8得点、12.1リバウンドの数字を残し、オールスターにも選出されるなどまさにキャリアの絶頂であった。しかし翌シーズン2001-02シーズン初めに膝に重傷を負い、1年間を棒に振ることになる[1]。これ以降怪我がちになり、何度も手術を経験している。この時期にマーカス・キャンビーとのトレードのためニューヨーク・ニックスへ移籍することになる。この時点ではすでに膝はボロボロの状態で彼の特長である爆発的な跳躍力は影を潜め、本人は引退したいとの意思を持っていたが、代理人の意向もあって現役を続けた[2]。 2004年のオフシーズンにデトロイト・ピストンズへ移籍。ピストンズではシックスマンとして重要な働きを担い、この年のレギュラーシーズンでは9.6ポイント6.3リバウンドを記録、チームのNBAファイナルズ進出に貢献[3]。ファイナルズでは優勝を逃すが、ベンチスタートながらも、7戦のうち5試合で二桁得点を記録した。2004-05シーズンのシックスマン投票では第7位、2005-06シーズンのシックスマン投票では第4位[4]、2006-07シーズンのシックスマン投票では第6位に入った[3]。2007-08シーズンには再び先発フォワードとして78試合に出場した。 2008‐09シーズン直後、アレン・アイバーソンとのトレードでチャンシー・ビラップスらと共にデンバー・ナゲッツへ移籍が決まる[5]。しかし、マクダイスは2年ほど前から常々「ピストンズを出てまで現役を続けようとは思わない。」とコメントをしていた。その後、ナゲッツとのバイアウトが成立し、ピストンズに復帰、この年は先発30試合ながら、9.6ポイント、9.8リバウンドを記録した。 2008-09シーズン後、サンアントニオ・スパーズに移籍し、2シーズンプレーし2010-11シーズン後に引退した。 プレイスタイルキャリア前期は、高い跳躍力とパワーを生かした豪快なダンクシュートとブロックショット、およびリバウンドが特長であった。膝を痛めるまでは垂直跳びで120cm=47インチを誇っていた。2001-02シーズンに膝を痛めて以降はその身体能力は鳴りを潜めるようになりスタッツも軒並み低下。それでもペリメーター付近のジャンプシュートとリバウンド、優れた技術と戦術眼を持つ、チームに貢献するベテランとして重宝された。 脚注
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