アロンゾ・モーニング
Alonzo Mourning
|
マイアミ・ヒート |
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役職 |
球団副社長 |
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所属リーグ |
NBA |
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基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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生年月日 |
(1970-02-08) 1970年2月8日(54歳) |
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出身地 |
バージニア州チェサピーク |
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身長(現役時) |
208cm (6 ft 10 in) |
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体重(現役時) |
118kg (260 lb) |
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キャリア情報 |
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高校 |
インディアン・リバー高等学校 |
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大学 |
ジョージタウン大学 |
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NBAドラフト |
1992年 / 1巡目 / 全体2位[1] |
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プロ選手期間 |
1992年–2008年 |
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ポジション |
C |
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背番号歴 |
33 |
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永久欠番 |
ヒート 33 |
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経歴 |
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1992–1995 | シャーロット・ホーネッツ |
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1995–2003 | マイアミ・ヒート |
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2003–2004 | ニュージャージー・ネッツ |
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2005–2008 | マイアミ・ヒート |
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受賞歴 |
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- NBAチャンピオン (2006)
- 7× NBAオールスター (1994-1997, 2000-2002)
- オールNBAファーストチーム (1999)
- オールNBAセカンドチーム (2000)
- 2× NBA最優秀守備選手賞 (1999, 2000)
- 2× NBAオールディフェンシブファーストチーム (1999, 2000)
- 2× NBAブロック王 (1999, 2000)
- NBAオールルーキーファーストチーム (1993)
- オールアメリカン・コンセンサスファーストチーム (1992)
- オールアメリカン・コンセンサスセカンドチーム (1990)
- オールアメリカンサードチーム - NABC
- ビッグ・イースト最優秀選手賞 (1992)
- 2× オールビッグ・イーストファーストチーム (1990, 1992)
- 3× ビッグ・イースト最優秀守備選手賞 (1989, 1990, 1992)
- 2× USAバスケットボール男子年間最優秀選手賞 (1990, 2000)
- NCAAブロック王 (1989)
- マクドナルド・オール・アメリカンMVP (1989)
- 2× パレード誌オールアメリカンファーストチーム (1987, 1988)
- パレード誌オールアメリカンセカンドチーム (1986)
- 2× バージニア州ミスター・バスケットボール (1987, 1988)
- J・ウォルター・ケネディ市民賞 (2002)
|
NBA通算成績 |
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得点 |
14,311 (17.1 ppg) |
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リバウンド |
7,137 (8.5 rpg) |
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ブロック |
2,356 (2.8 bpg) |
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Stats Basketball-Reference.com |
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バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) |
代表歴 |
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キャップ |
アメリカ合衆国 |
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アロンゾ・ハーディング・モーニング・ジュニア(Alonzo Harding Mourning, Jr., 1970年2月8日 - ) はアメリカ合衆国バージニア州チェサピーク出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはセンター。
センタープレイヤーとして特別上背があったわけではなかったが、剛力を発揮してインサイドを支配し、強烈な印象を残した。1999年と2000年にNBA最優秀守備選手賞を受賞した好ディフェンダーであり、2000年シドニーオリンピック金メダリスト。愛称は「ZO(ゾー)」。
経歴
ジョージタウン大学のスター選手として名をとどろかせた。1年先輩にディケンベ・ムトンボがいた。パトリック・ユーイングも大学の先輩にあたる。モーニングは同大学卒業後1992年のNBAドラフトでシャキール・オニールに次ぐ全体2番目でシャーロット・ホーネッツから指名されてNBA入りした。
ルーキー離れした活躍を見せ新人王候補にも残るが、オニールに敗れる。しかし、オールルーキーファーストチームに選出される。ホーネッツはラリー・ジョンソンとケンドール・ギルなど有能な選手が揃い、「フューチャーブルズ」(未来のシカゴ・ブルズ)と呼ばれるほど強豪チームになるのではないかと期待される。1994年バスケットボール世界選手権にドリームチームIIとして出場し優勝した。3年間ホーネッツでプレーした後、95-96シーズン開幕前にヒートに移籍した。
ヒートでは、パット・ライリーの指揮のもと強豪チームとなる。チームメイトのティム・ハーダウェイと何度も優勝のチャンスを掴むが、優勝を味わうことはなかった。1995-96シーズン、3月29日のワシントン・ウィザーズ戦でキャリアハイとなる50得点を記録した[1]。1998-99シーズンと99-00シーズンにはNBA最優秀守備選手賞を受賞した。2000年に開催されたシドニーオリンピックでアメリカ代表としてプレー。見事金メダルを獲得する。それからがモーニングの試練になるのであった。
オリンピックも終了し、帰国したモーニングに衝撃の事実が告げられる。モーニングは巣状糸球体硬化症(腎臓の疾患)を患っていた。選手生命にもかかわる事態となったが、モーニングは腎臓の移植手術を決断。シーズン終了前の13試合に出場するなど、鋼鉄の体を見せるが、プレーオフでは結果を残せず。続く01-02シーズン終了後モーニングは引退を発表した。
ところが、モーニングは引退から1年後にニュージャージー・ネッツと契約。だが、モーニングの状態はよくなく、12試合に出場したのみで再び引退。不死身といわれたモーニングも終わりだと思われた。
しかし、04-05シーズンにモーニングは再びNBAのコートに帰ってきた。シーズン開幕後はネッツでプレーしていたが、ヴィンス・カーターとのトレードでトロント・ラプターズに移籍、ラプターズではプレーせずに古巣のヒートに復帰した。
こうしてヒートに戻ってきたモーニングは、04-05シーズンに移籍したシャキール・オニールの控えセンターとして活躍し、オニールや新しいスター、ドウェイン・ウェイドらと共にNBAの頂点を目指し、2006年にはキャリアで初めての優勝を果たした。優勝が決まったNBAファイナル第6戦でモーニングは5ブロックと大暴れし、チームの優勝に大きく貢献した。
優勝した後のヒートは急速に衰え、翌06-07シーズンはプレイオフには進出したものの、1回戦でシカゴ・ブルズに全敗で敗退し、翌07-08シーズンもシーズン序盤から大きく負け越した。モーニングは開幕前からこのシーズンを最後に引退することを表明していたが、12月20日のアトランタ・ホークス戦で右ひざ脚蓋腱を断裂してしまい、シーズン中の復帰は絶望視されてしまう。シャキール・オニールらチームメイトに抱えながらコートを去る時、モーニングの口からは「It's over」という言葉が漏れたという。
その後モーニングは引退を表明し、08-09シーズン、3月30日のマジック戦、引退セレモニーが43分間にわたって行われた。同時に、現役時代の背番号「33」ヒートの所属選手で初のヒートの永久欠番となった。なお、本人曰く「師匠」であるパトリック・ユーイング(現シャーロット・ホーネッツアシスタントコーチ)が同席できるよう、このマジック戦のハーフタイムが選ばれたのだという。モーニングは大粒の涙を流し、現役生活に幕を下ろした。
2014年にバスケットボール殿堂入りを果たした[2]。
個人成績
NBA
レギュラーシーズン
シーズン
|
チーム
|
GP
|
GS
|
MPG
|
FG%
|
3P%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
SPG
|
BPG
|
PPG
|
1992–93
|
CHA
|
78 |
78 |
33.9 |
.511 |
.000 |
.781 |
10.3 |
1.0 |
.3 |
3.5 |
21.0
|
1993–94
|
60 |
59 |
33.6 |
.505 |
.000 |
.762 |
10.2 |
1.4 |
.5 |
3.1 |
21.5
|
1994–95
|
77 |
77 |
38.2 |
.519 |
.324 |
.761 |
9.9 |
1.4 |
.6 |
2.9 |
21.3
|
1995–96
|
MIA
|
70 |
70 |
38.2 |
.523 |
.300 |
.685 |
10.4 |
2.3 |
1.0 |
2.7 |
23.2
|
1996–97
|
66 |
65 |
35.2 |
.534 |
.111 |
.642 |
9.9 |
1.6 |
.8 |
2.9 |
19.8
|
1997–98
|
58 |
56 |
33.4 |
.551 |
--- |
.665 |
9.6 |
.9 |
.7 |
2.2 |
19.2
|
1998–99
|
46 |
46 |
38.1 |
.511 |
.000 |
.652 |
11.0 |
1.6 |
.7 |
3.9* |
20.1
|
1999-00
|
79 |
78 |
34.8 |
.551 |
.000 |
.711 |
9.5 |
1.6 |
.5 |
3.7* |
21.7
|
2000–01
|
13 |
3 |
23.5 |
.518 |
.000 |
.564 |
7.8 |
.9 |
.3 |
2.4 |
13.6
|
2001–02
|
75 |
74 |
32.7 |
.516 |
.333 |
.657 |
8.4 |
1.2 |
.4 |
2.5 |
15.7
|
2003–04
|
NJN
|
12 |
0 |
17.9 |
.465 |
--- |
.882 |
2.3 |
.7 |
.2 |
.5 |
8.0
|
2004–05
|
18 |
14 |
25.4 |
.453 |
--- |
.593 |
7.1 |
.8 |
.3 |
2.3 |
10.4
|
MIA
|
19 |
3 |
12.9 |
.516 |
--- |
.564 |
3.7 |
.2 |
.2 |
1.7 |
5.0
|
2005–06†
|
65 |
20 |
20.0 |
.597 |
.000 |
.594 |
5.5 |
.2 |
.2 |
2.7 |
7.8
|
2006–07
|
77 |
43 |
20.4 |
.560 |
--- |
.601 |
4.5 |
.2 |
.2 |
2.3 |
8.6
|
2007–08
|
25 |
0 |
15.6 |
.547 |
--- |
.592 |
3.7 |
.3 |
.2 |
1.7 |
6.0
|
通算:15年
|
838 |
686 |
31.0 |
.527 |
.247 |
.692 |
8.5 |
1.1 |
.5 |
2.8 |
17.1
|
オールスター
|
4 |
1 |
18.8 |
.545 |
.000 |
.667 |
4.8 |
1.0 |
.8 |
2.0 |
10.0
|
プレーオフ
シーズン
|
チーム
|
GP
|
GS
|
MPG
|
FG%
|
3P%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
SPG
|
BPG
|
PPG
|
1993
|
CHA
|
9 |
9 |
40.8 |
.480 |
.000 |
.774 |
9.9 |
1.4 |
.7 |
3.4 |
23.8
|
1995
|
4 |
4 |
43.5 |
.421 |
.500 |
.837 |
13.3 |
2.8 |
.8 |
3.3 |
22.0
|
1996
|
MIA
|
3 |
3 |
30.7 |
.486 |
--- |
.714 |
6.0 |
1.3 |
.7 |
1.0 |
18.0
|
1997
|
17 |
17 |
37.1 |
.491 |
.375 |
.555 |
10.2 |
1.1 |
.6 |
2.7 |
17.8
|
1998
|
4 |
4 |
34.5 |
.518 |
--- |
.655 |
8.5 |
1.3 |
.8 |
2.5 |
19.3
|
1999
|
5 |
5 |
38.8 |
.521 |
--- |
.653 |
8.2 |
.8 |
1.6 |
2.8 |
21.6
|
2000
|
10 |
10 |
37.6 |
.484 |
.000 |
.667 |
10.0 |
1.4 |
.2 |
3.3 |
21.6
|
2001
|
3 |
3 |
30.3 |
.480 |
--- |
.579 |
5.3 |
1.0 |
.0 |
1.7 |
11.7
|
2005
|
15 |
2 |
16.9 |
.705 |
--- |
.558 |
4.8 |
.3 |
.3 |
2.2 |
6.1
|
2006†
|
21 |
0 |
10.8 |
.703 |
--- |
.667 |
2.9 |
.1 |
.2 |
1.1 |
3.8
|
2007
|
4 |
0 |
13.8 |
.909 |
--- |
.385 |
2.0 |
.3 |
.0 |
.8 |
6.3
|
出場:11回
|
95 |
57 |
27.3 |
.512 |
.368 |
.649 |
7.0 |
.9 |
.5 |
2.3 |
13.6
|
タイトル・受賞
- NBA優勝:2006
- オールNBA1stチーム:1999
- オールNBA2ndチーム:2000
- 最優秀守備選手賞:1999, 2000
- オールディフェンシブ1stチーム:1999, 2000
- オールスター出場:1994, 1995, 1996, 1997, 2000, 2001, 2002
- ブロック王:1999(1試合平均3.91)
- オールルーキー1stチーム:1993
キャリアハイ記録
脚注
外部リンク
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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歴代ベスト10 |
- ①アキーム・オラジュワン:3,830
- ②ディケンベ・ムトンボ:3,289
- ③カリーム・アブドゥル=ジャバー:3,189
- ④マーク・イートン:3,064
- ⑤ティム・ダンカン:3,020
- ⑥デビッド・ロビンソン:2,954
- ⑦パトリック・ユーイング:2,894
- ⑧シャキール・オニール:2,732
- ⑨トゥリー・ロリンズ:2,542
- ⑩ロバート・パリッシュ:2,361
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プレーオフ 歴代ベスト10 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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