アンドレアス・ヴァルター・メラー(Andreas Walter Möller、1967年9月2日 - )は、ドイツ・フランクフルト出身の元サッカー選手。選手時代のポジションは攻撃的ミッドフィールダー。
クラブ経歴
アイントラハト・フランクフルトですぐに頭角を現した。ボルシア・ドルトムントへの移籍を経て、フランクフルトへ複帰。1992年にセリエAのユヴェントスFCに移籍し、2シーズンを過ごした。1992-93シーズンのUEFAカップ決勝のドルトムント戦では1stレグでは2アシストを決めて3-1での勝利に貢献[1]、2ndレグでは1ゴール1アシストの活躍で[2]優勝に貢献した(決勝2試合でユベントスが奪った全6ゴールのうち、4ゴールに絡んだ。)。セリエAではMFとして2シーズンで19得点を挙げたが、ロベルト・バッジョの陰に隠れがちだった。
1994年に再びボルシア・ドルトムントに復帰、1994-95シーズンにはクラブ史上初のリーグ優勝を果たすと、翌1995-96シーズンもリーグ優勝を果たした。1996-97シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝では古巣ユベントスと対戦、この試合でリードレの決勝ゴールとリッケンのダメ押しゴールをアシストして[3]、チーム初の欧州制覇に大きく寄与した。1997年のトヨタカップ優勝(大会MVPを獲得した[4]。この年のバロンドール投票では自己最高位となる6位に入った[5]。しかし、1999-00シーズンに不振に陥り、出場機会が半減[6]、同時にチームは低迷した。また、自身もドイツ代表に招集されなくなり、クラブでもベンチで暖める日々が続いた。
2000-01シーズンにドルトムントのライバルチームであるシャルケ04へ移籍をした。このシーズンは好調を維持し、11アシストを決めるなど[7]、バイエルンとの優勝争いを演じ、DFBポカールの連覇に貢献、Kiker誌が選ぶベストイレブンに選出された。
2003-04シーズンに古巣フランクフルトに在籍したのを最後に現役を引退。ブンデスリーガでは429試合110ゴールの成績を残した[8]。また1989-90シーズンには14アシスト[9]、1995-96シーズンには13アシストで[10]ブンデスリーガの最多アシスト者となるなど、多くのアシストも決めた。現在はドイツ4部のクラブでサッカー指導者としての道を歩んでいる。
代表経歴
1988年9月21日のソビエト連邦戦で代表デビューを果たす。1990年のワールドカップ・イタリア大会では準々決勝の1試合(7分)の出場ながら[11]優勝を経験。それまでは控えであったが、90年大会以降ピエール・リトバルスキーから背番号「7」を受継ぎ、1994年のワールドカップ・アメリカ大会、1998年のワールドカップ・フランス大会にもそれぞれドイツ代表として出場し、1996年のUEFA欧州選手権1996ではグループリーグ初戦のチェコ戦でゴールを決めるなど[11]、中心選手としてドイツの優勝に貢献した。
プレースタイルなど
高いテクニック、スピード、パスセンスを持ち、ゲームを組み立てた[12]。強烈なシュートを武器とし[12]、チャンスメーカとして優れていただけではなく、得点能力も兼ね備えていた[13]。またセットプレーのスペシャリストでもあった[13]。
フランツ・ベッケンバウアーは、1990年代のドイツで最も優れた才能の持ち主だと評価していた[14]。また、オットー・レーハーゲルからはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに例えられた[14]。
指導歴
獲得タイトル
脚注
外部リンク