インパヴィド級駆逐艦
インパヴィド級駆逐艦(イタリア語: caccia classe Impavido)は、イタリア海軍のミサイル駆逐艦(Caccia Lanciamissili)の艦級[2][3][4][1]。 来歴第二次世界大戦後のイタリア海軍は、第1次5ヶ年計画中の1950-51年計画によってインペトゥオーソ級を建造し、駆逐艦の国産を再開した。続く第2次5ヶ年計画中の1956-57年度および1958-59年度では、同級を元にターター・システムを搭載した発展型が建造されることとなった。これが本級である[5]。これは、アメリカ海軍が、フォレスト・シャーマン級駆逐艦をもとにチャールズ・F・アダムズ級を開発したのと同じアプローチであった[2]。 設計上記の経緯より、設計はインペトゥオーソ級の発展型となっており、中央船楼型という船型も踏襲された。本級では、減揺装置としてフィンスタビライザーを装備している[3]。 ボイラーの蒸気性状はインペトゥオーソ級と同様で、フォスター・ホイーラー式、蒸気性状も圧力50 kgf/cm2 (710 lbf/in2)、温度450 °C (842 °F)が踏襲された。艦型の拡大に伴って、機関出力は65,000馬力から70,000馬力に強化された。海上公試では、最大速力34.5ノットに達した[3]。 装備C4ISR防空艦であることから、レーダーはインペトゥオーソ級より強化更新が図られており、対空捜索用のAN/SPS-12、対水上捜索用のMM/SPQ-2に加えて、3次元式のAN/SPS-39も搭載する。またこれは後に、プレーナアレイアンテナを採用した改良型に更新された。ソナーもインペトゥオーソ級より強化され、アメリカ製の低周波ソナーであるAN/SQS-23が搭載された[2]。 また1970年代中盤の近代化改修の際に、SADOC-2戦術情報処理装置が搭載された[6]。 武器システム本級では、インペトゥオーソ級の後部5インチ砲を廃して、かわりにターター・システムのMk.13ミサイル発射装置(GMLS)とMk.74 ミサイル射撃指揮装置(GMFCS)を搭載している。イタリア海軍は、1957年から1961年にかけて巡洋艦「ジュゼッペ・ガリバルディ」をミサイル巡洋艦に改装して艦隊防空ミサイルの運用に着手していたが、本級は、当初から艦対空ミサイルを搭載するものと建造された初の例であった。艦対空ミサイルとしては、当初はターターを運用していたが、1970年代中盤の改修により、後継のSM-1MRに更新された[2]。 艦砲としては、船首甲板に38口径127mm連装砲を搭載した。また近距離用の対空兵器としては、当初は40mm高角機銃を予定していたが、1958年、イタリア海軍は、76mm口径以上でなければ対空砲火力として期待し得ないとの結論に達したことから、62口径76mm単装砲(MMIアラーガト)に変更された。また1970年代中盤の改修により、砲射撃指揮装置(GFCS)はMM/SPG-70(RTN-10X)火器管制レーダーを用いたアルゴNA-10に更新された。38口径127mm連装砲を巡洋艦「ジュゼッペ・ガリバルディ」と同様の45口径135mm砲に変更することも検討されたが、これは実現しなかった[2]。 対潜兵器としては、当初設計ではインペトゥオーソ級と同様にメノン 305mm対潜迫撃砲を搭載する予定もあったが、これは削除され、324mm3連装短魚雷発射管のみとなった[2]。 また船尾甲板はヘリコプター甲板を設置(格納庫はなし)しており、連絡用小型ヘリコプターの発着艦が可能であるほか、必要に応じて、哨戒ヘリコプターに対する補給支援が可能である。 同型艦本級は、後継となるスーパー・アウダーチェ級(のちにアニモソ級、さらにデ・ラ・ペンネ級に改名)の計画遅延に伴い、長く艦隊にとどまったが、デ・ラ・ペンネ級が1990年代初頭には就役できる目途が立ったことから、1991年から1992年にかけて退役した。
参考文献
関連項目ウィキメディア・コモンズには、インパヴィド級駆逐艦に関するカテゴリがあります。
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