ウィル・レデズマ
ウィルフレッド・ホセ・レデズマ・アコスタ(Wilfredo Jose "Wil" Ledezma Acosta , 1981年1月21日 - )は、ベネズエラのバエ・デ・ラ・パスクア出身のプロ野球選手(投手)。 経歴1998年に、アマチュア・フリーエージェントでボストン・レッドソックスと契約。ルーキー級ドミニカン・サマーリーグに参加。 1999年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッドソックスでプレー。 2000年はA級オーガスタ・グリーンジャックスでプレー。 2002年12月16日に、ルール・ファイブ・ドラフトでデトロイト・タイガースに指名され移籍した。 2003年4月2日に、メジャーデビューを果たす。6月4日にサンディエゴ・パドレス戦でメジャー初勝利を記録した。 2007年6月20日、アトランタ・ブレーブスへマケイ・マクブリッジとのトレードで移籍した。7月31日には、ロイス・リングとのトレードでサンディエゴ・パドレスへトレードされた。この年は、パドレスで9試合に出場した。 2008年8月29日にウェーバーでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍した。3試合に出場し、オフに12月12日にノーテンダーFAになった[1]。 2009年1月にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結ぶ。5試合に出場し7月6日に放出された。8月5日に、トロント・ブルージェイズと契約した。A+級ダニーデン・ブルージェイズで3試合に出場。8月18日にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツへ昇格し、8試合に出場。しかし、メジャーに上がる事は出来なかった。10月9日にFAとなった。11月30日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶ[2]。 2010年7月27日に、スティーブン・ジャクソンと共にメジャーへ昇格。12月24日にDFAとなった。 2011年1月5日、ウェーバーでトロント・ブルージェイズへ移籍した[3]。ジョジョ・レイエスがDFAになり40人ロースターに入った。シーズン終了後の9月29日にFAとなった[4]。12月2日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。 2012年はAAA級アルバカーキ・アイソトープスで開幕を迎えた。38試合に登板し3勝3敗3セーブ、防御率6.99だった。7月24日に解雇された。7月27日に千葉ロッテマリーンズが獲得を発表した[5]。8月24日の対ソフトバンク戦で4番手として初登板。1回を投げて3失点と打ち込まれた。その後の登板は無く、同年はこの1試合のみの登板であったが、2013年シーズンも在籍することになった[6]。 2013年開幕前の3月に第3回WBCのベネズエラ代表に選出された[7]。シーズンでは左の中継ぎで26試合に登板、3勝3敗の防御率3.23の成績を残し、球団から評価されたものの[8]、11月18日に来季契約を結ばないことが球団より発表された[9]。11月25日、自由契約公示された[10]。 2014年3月4日に古巣・タイガースとマイナー契約を結んだ[11]。4月に解雇され、6月からメキシカンリーグのユカタン・ライオンズでプレー。12月23日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結ぶ。 2015年4月2日に解雇となり、5月にメキシカンリーグのプエブラ・パロッツと契約。オフにトレードでユカタン・ライオンズに移籍。 2016年2月5日に解雇となるが、3月5日にユカタン・ライオンズと再契約。しかし登板機会無いまま5月26日に自由契約となり、ベラクルス・レッドイーグルスに移籍。 2017年2月8日に第4回WBCのベネズエラ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした[12]。 2018年は所属球団なく、オフにベネズエラのウィンターリーグにでプレー。 2019年はメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツと契約したが、開幕から8試合の登板で6失点を喫し、5月2日に解雇となる。 2021年からはドスラレドス・オウルズでプレー[13]。 プレースタイル・人物最速157km/hのストレートが武器で[14]、変化球はスライダー・チェンジアップを投げる[15]。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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