エステル・レデツカ
エステル・レデツカ(Ester Ledecká チェコ語発音: [ˈɛstɛr ˈlɛdɛtskaː], 1995年3月23日 - )は、チェコ共和国プラハ出身のスノーボードとアルペンスキーの選手。2018年平昌オリンピックでアルペンスキー競技とスノーボード競技で1位となり、冬季オリンピックの一大会において異なる競技で金メダルを獲得した最初の女性である。 生い立ち1995年3月23日、プラハにおいて父ヤネク・レデツキー(Janek Ledecký)と母ズザナ(Zuzana)・レデツカとの間に生まれた[1]。 父ヤネクはチェコやスロバキアで有名なミュージシャンである。母方はスポーツの家系であり、母ズザナはフィギュアスケート選手[1][2]、祖父のヤン・クラパーチ(Jan Klapáč)はアイスホッケーの強豪国チェコスロバキア(当時)の選手としてインスブルック、グルノーブルの2つのオリンピック大会と、7回の世界選手権大会でメダルを獲得[3]したアスリートであった。 レデツカが最初に経験したスポーツは母方の祖父の影響を受けたアイスホッケー[1]である。スキーは2歳の頃[4][注釈 1]、スノーボードは5歳の時に始め、どちらも1歳半年上の兄ヨナーシュ(Jonáš)が嗜んでいたことがきっかけである。13歳くらいまではフリースタイルスノーボードとスノーボードクロスをやっていた[5]。兄がアルペンスノーボードを始めたことに影響されて本人もアルペン競技を学びはじめ、最初はこの競技が好きではなかったが、負けず嫌いの性分から兄を打ち負かしたい一心で練習を続けたという[5]。 なお、現在アーティストとして活動している兄のヨナーシュは、妹エステルのレース用ウェア、スキー板、スノーボード、プロテクター等のデザインを手がけており[9]、公式ウェブサイトのトップページ[2]を飾るイメージ画像も彼の作品である。 経歴2000-2001年シーズン、レデツカは5歳の時、別荘のあるシュピンドレルーフ・ムリーンで開催されたミルカカップスキーレース[注釈 2]に初めて参加して優勝した[2]。 その後、チェコ国内で2年毎に開催される子供と青少年のオリンピアードで5つの金メダルと2つの銀メダルを獲得するなどして、国内ではアルペンスキーとスノーボードのアスリートとして注目を浴びていた[8]。 2010-2011年シーズン、1月下旬にスペイン・ラ・モリーナで開催されたスノーボード世界選手権大会に初参戦し、パラレル大回転は33位[10]、パラレル回転は40位[11]の成績であった。 2012-2013年シーズンからはスノーボード・ワールドカップのアルペン種目に挑戦し、初参戦した12月21日のイタリア・カレッツア大会パラレル大回転では13位の成績[15]を残し[注釈 3]、レデツカ自身5戦目となり翌年のオリンピック前哨戦とされた2月14日のロシア・ソチ大会においてパラレル大回転で6位[16]に入賞した。また、3月にはトルコ・エルズルムで開催されたスノーボード世界ジュニア選手権大会で、パラレル大回転、パラレル回転ともに優勝[17][18]を果たした。 2013-2014年シーズンは、1月10日にオーストリアで開催されたスノーボード・ワールドカップ・バート・ガスタイン大会のパラレル回転で2位となり初めて表彰台に立つと[19]、翌週の1月18日にはログラ大会のパラレル大回転で同種目では歴代最年少の18歳[4]で初優勝に輝いた[2]。その勢いのまま2月のソチオリンピックに初出場し、パラレル大回転で7位[20]、パラレル回転で6位[21]の成績を残した。 2014-2015年シーズンは、1月にオーストリア・ラッハタールで開催されたスノーボード世界選手権においてパラレル回転で優勝した[22]。スノーボードのワールドカップではエントリーした8戦中、優勝2回を含むトップ10入り7回と安定した成績を残し、シーズンの成績はパラレル大回転が2位、パラレル回転が8位、パラレル総合が3位となった[23]。 2015-2016年シーズンから2018-2019年シーズンにかけての4シーズンのスノーボードの成績は、ワールドカップ35戦に参戦して17勝を含む表彰台28回という強さを見せ、パラレル大回転では2016-2017年シーズンを除き3回の総合優勝[注釈 4]、パラレル総合成績で4連覇に輝いている。 2018年平昌オリンピックでの活躍 平昌オリンピックでは、アルペンスキー競技のスーパー大回転とスノーボード競技のパラレル大回転にエントリー。オリンピックにおいてアルペンスキーとスノーボードの両方の競技にエントリーする初のケースとなった[7]。 大会前の2017-2018シーズンの成績は、スノーボード・ワールドカップのパラレル大回転に6戦出場して5勝と圧倒的な強さを見せ、平昌オリンピックでのこの種目における金メダル候補の最右翼ともくされていた。アルペンスキーは、平昌オリンピックまでの過去の実績がワールドカップ7位(滑降の成績。スーパー大回転の最高成績は19位)、世界選手権29位[注釈 6]が最高成績であり、オリンピック前に参戦した最後のワールドカップ・スーパー大回転は24位(1月13日)と成績は芳しくなく、ワールドカップ・スーパー大回転ランキング(WCSL-SG[注釈 7])も50位[注釈 8]と注目度は低かった。 2月17日のアルペンスキー女子スーパー大回転ではメダル獲得の可能性が圧倒的に高いとされる滑走順(Bib Number)が20番までの選手(特に、滑走順19番までの奇数番号を振り分けられるWCSL-SG上位10人の選手がメダル最有力とされる)の滑走が終わった時点でトップに立っていたオーストリアのアンナ・ファイトが金メダル確実と見られていたが[注釈 9]、その約12分後に滑走順26番でスタートしたレデツカ[注釈 10]がファイトのタイムを0.01秒上回る快走を見せ、逆転で金メダルを獲得[28][29]する大番狂わせを演出して[注釈 11]大きな話題となった。ゴールの瞬間、自分の順位を示す掲示板を見て呆然と立ち尽くし、テレビ中継のカメラが近寄ると「No. Must be some mistakes.(いや、何かの間違いだわ)」[30]とつぶやき、子供の頃からの夢の一つを叶えた喜び[注釈 12]の表情ではなく当惑した姿が映し出された。
大番狂わせから一週間後、今度は本命とされるスノーボード・パラレル大回転での金メダルの行方に大きな脚光が注がれた[33]。
2月24日に行われたスノーボード女子パラレル大回転では、予選の2本の合計タイムが2位の選手に対し1.26秒の大差をつける1位での通過となり、その後の決勝ではセリナ・イェルクを0.46秒差で破り、金メダルを獲得[34]した[35]。 平昌オリンピック後 2018-2019年シーズンは、ワールドカップの出場回数がスノーボードの8戦に対しアルペンスキーが12戦と上回った。スノーボードでは優勝2回を含み全てベスト5以上の成績を残し相変わらず安定した強さを見せる一方、アルペンスキーの高速系競技においても10位以内に入るレースを見せるようになった。このシーズンは、スノーボード世界選手権が2月1日から10日にかけて米国・ユタ州のパークシティで、アルペンスキー世界選手権が2月5日から17日にかけてスウェーデンのオーレでの開催となり、二つの大会日程が重なることから両大会への出場が叶わずスノーボード大会への参加を断念した。 2019-2020年シーズンからは、前シーズンよりも更にアルペンスキーに力を入れるようになった。アルペンスキー・ワールドカップは16戦に参戦し、12月のカナダ・レイク・ルイーズ大会の滑降にて、アルペンスキーでは初の金メダルを獲得[39][40]したのをはじめとして、高速系競技13戦中トップ10入りが7回と、トップアスリートの地位を築いた。シーズン中にはアルペン複合にも2戦出場し6位[41]と3位[42]を獲得している。スノーボード・ワールドカップについては、僅か2回の出場に激減したが2位[43]と優勝[44]の成績を残している。 2020-2021年シーズンは、アルペンスキーワールドカップにおいて12戦出場し、優勝1回[45]を含むトップ10入り8回と好調を維持し、スノーボードワールドカップにおいては唯一出場した12月のイタリア・コルティーナ・ダンペッツオ大会で優勝[46]を飾っている。2月中旬にコルティーナ・ダンペッツォで開催されたアルペンスキー世界選手権では、スーパー大回転と滑降で4位[47][48]、複合で8位[49]の好成績を残したが、3月上旬にスロベニアのログラで開催されたスノーボード世界選手権にはパラレル大回転でエントリーしたものの怪我のため欠場した[50][51]。 2021-2022年シーズンは、北京オリンピックでの平昌以来のダブル金メダルが期待されていた。スノーボードにおいては12月にワールドカップのパラレル大回転2戦に出場して2位[52]と1位[53]を獲得したあと、大きな国際大会に2か月間出場しないまま北京オリンピックを迎えることとなったが、他を圧倒して金メダルを獲得[54]してパラレル大回転2連覇を果たした。一方、アルペンスキーはオリンピック直前のワールドカップ4戦全てでトップ10入りして好調ではあったが、連覇のかかったスーパー大回転本番ではトップと0.43秒差の5位[55]で金メダルを逃した。その他の種目の成績は、滑降が27位[56]、複合が4位[57]であった。 2022年夏のトレーニング中に鎖骨を複雑骨折する大怪我を負った[58]ため、2022-2023年シーズンは、スノーボード、アルペンスキーともにワールドカップ序盤からの参戦を見送った[59]。その後も怪我の回復が遅れたことから2月6日〜19日のアルペンスキー世界選手権への参加を諦め[60]、2月19日〜3月5日のスノーボード世界選手権への参戦に向けて調整[61]をつづけてきたが間に合わなかった。復帰したのは、スノーボード・ワールドカップの終盤戦[62]である。2023年3月15日のスロベニア・ログラ大会でパラレル大回転に出場して2位[63]を獲得すると、その3日後、シーズン最終戦のドイツ・ベルヒテスガーデン大会のパラレル回転では見事に優勝[64]して復活を果たした。 2023-2024シーズンは、11月に感染したウイルス性の呼吸器系疾患が長引き、療養を続けながらのレースとなった[66]。 戦績オリンピック
世界選手権
ワールドカップ
脚注出典
注釈
外部リンク
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