エストリル・サーキット
シルクイート・ド・エストリル(葡: Circuito do Estoril, エストリル・サーキット)はポルトガルのエストリルにあるサーキット。かつては四輪のF1ポルトガルGPや二輪のWGPポルトガルGPが行われていた。 概要1972年に完成した後は、F2レースなどが行われてきたが、1984年よりF1が開催されることとなり、以後1996年まで13年連続で開催された。その間には温暖な気候もあり、シーズンオフなどにF1マシンのテストコースとしても利用されてきた。 しかし全体的にランオフエリアが狭い上、ホームストレートも非常に狭く、ピットの入り口が急カーブになっている事から大きい事故が多発した。1990年にはアレックス・カフィの事故により10周を残して赤旗終了。1992年にはピットロードに入るために急減速したゲルハルト・ベルガーにリカルド・パトレーゼが追突。パトレーゼのマシンがあわやホームストレート上の看板に激突しかける大事故となった。1995年にはスタート直後に片山右京のマシンが宙を舞い、狭いホームストレートをマシンが転がり回る事故が発生するなど、重大事故が多く発生した。1994年以降のサーキットの安全基準強化の流れもあり、1997年に主にコースの整備や安全面等に問題があるとの理由でF1カレンダーから外れることとなった。 2000年にコースの一部が改修され、全長が現在の4.16kmになった(それ以前の全長は4.36kmだった)。 ロードレース世界選手権(MotoGP)は2000年から2012年までポルトガルGPが開催された。 2020年にF1とMotoGPのポルトガルGPが復活したが、いずれも開催地はポルティマオに変わった。 レイアウトホームストレートの長さは986m。ストレートエンドの1コーナーと2コーナーは以前は豪快な高速コーナーだったが、安全面から通過速度を落とすように変更された。3コーナーのヘアピンを過ぎると、4コーナーのヘアピンにかけて上り坂になる。 4コーナーを立ち上がると一気に加速し、高速5コーナーを経てミドルストレートへ。6コーナーのヘアピン進入はパッシングポイントとなる。また、立ち上がりを重視すれば、7コーナーでもポジションアップを狙うことができる。 7コーナー先は中速コーナーだったが、ガードレールがコースに近く危険なため、1994年から上り坂のタイトなシケインに変更された。最終コーナーの「パラボリカ」は長い180度ターンで、ホームストレートに向けての加速が重要となる。1996年のポルトガルGPでは、ジャック・ヴィルヌーヴがミハエル・シューマッハをアウト側からかわす大胆なオーバーテイクを成功させた。 なお、「パラボリカ」は、1994年のポルトガルGPからコーナー内側に同年のサンマリノGPで他界したアイルトン・セナの慰霊碑が建てられ、名称も「パラボリカ・アイルトン・セナ」となった。 サーキットが海の近くに位置するため、走行中に風の影響を受けやすい。
エストリルでのF1グランプリの結果
関連項目外部リンク
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