クリスティアン・カランブー(Christian Karembeu, 1970年12月3日 - )は、ニューカレドニア・リフ出身の元フランス代表サッカー選手。現役時代のポジションはMF(守備的ミッドフィールダー)。現在はオリンピアコスFCのスポーティングディレクターを務めている[2]。
経歴
1970年にニューカレドニアからフランスへと移住、その後FCナントの下部組織に加入した[1]。
1990年、20歳でFCナントでデビューを飾る[1]。1994-95シーズン、クロード・マケレレ、パトリス・ロコ、ベノワ・コウエらを擁し、リヨンに10ポイントの差をつけて、リーグ優勝を果たした[1]。
1995-96シーズン、セリエA・UCサンプドリアへ移籍。前年まで在籍していたルート・フリットを思わせる風貌であったことから、好奇の目で見られることもあった[1]。8月27日、セリエAのデビュー戦となった、ASローマとの対戦でいきなりゴールを決めた[1]。第3節のパルマ戦では、キャリアで初の2得点をあげた[1]。このシーズン、レギュラーとして32試合で5得点を決めた[1]。1996年のユーロに出場した後、レアル・マドリードからオファーを受けたが、マントバーニ会長は、オファーをしていたもう一方のチームである、FCバルセロナに強制的に売却しようとし、チームとの間に亀裂が生じた[1]。1996-97シーズン、低調なプレーを見せることが多く、ファンからブーイングを浴びせられることもあった[1]。
1997年にプリメーラ・ディビシオンのレアル・マドリードに移籍、中盤の右サイドで起用され、疲れを知らない献身的プレーで、フェルナンド・レドンドのゲームメークを助けた[3]。このシーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、準々決勝のバイヤー・レヴァークーゼン戦では、第1戦、2戦でそれぞれ1得点を決めると、準決勝のボルシア・ドルトムント戦の第1戦でも得点を決めた[1]。決勝では、ユヴェントスを破って優勝を果たした[3]。
フランス代表としては、53試合に出場した[3]。1996年のユーロでは、自身の価値を証明するプレーを見せた[1]。フランスW杯では、準決勝のクロアチア戦でロベルト・ヤルニをよく抑えてチームに貢献[3]。決勝のブラジル戦でも先発起用されて優勝を果たした[3]。EURO2000でも同国の優勝に貢献した。
1995年と1998年にオセアニア年間最優秀選手賞を受賞している。
2000年にプレミアリーグ・ミドルズブラFCへ移籍、レギュラーとして36試合で4得点を決めるなど、良いシーズンを送った[1]。その後、オリンピアコスに移籍、3シーズンで2度のリーグ優勝を果たした[1]。セルヴェットを経て、2005-06シーズンにSCバスティアへ移籍したが、シーズン終了後に34歳で選手生活に終止符を打った[1]。
現役引退後はFIFAのオセアニア大使として、同地域のサッカー活性化に一役買っている。
エピソード
代表歴
代表での成績
- 出典[5]
フランス代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1992 |
1 |
0
|
1993 |
0 |
0
|
1994 |
6 |
0
|
1995 |
4 |
1
|
1996 |
13 |
0
|
1997 |
4 |
0
|
1998 |
10 |
0
|
1999 |
4 |
0
|
2000 |
4註1 |
0
|
2001 |
6 |
0
|
2002 |
1 |
0
|
合計 |
53 |
1
|
註1 フランスサッカー連盟は2000年8月16日に行われたFIFA選抜戦を国際Aマッチとして認めている[5]。
個人タイトル
脚注
外部リンク