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クリスティアン・カランブー

クリスティアン・カランブー
2014年のカランブー
名前
愛称 Mad Dog[1]
ラテン文字 Christian KAREMBEU
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
ニューカレドニアの旗 ニューカレドニア
生年月日 (1970-12-03) 1970年12月3日(54歳)
出身地 ニューカレドニアの旗 リフ英語版
身長 178cm
体重 78kg
選手情報
ポジション MF (DMF)
利き足 右足
ユース
1985-1988 フランスの旗 ガイチャ英語版
1988-1990 フランスの旗 ナント
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1995 フランスの旗 ナント 130 (5)
1995-1997 イタリアの旗 サンプドリア 62 (6)
1997-2000 スペインの旗 レアル・マドリード 51 (1)
2000-2001 イングランドの旗 ミドルズブラ 33 (4)
2001-2004 ギリシャの旗 オリンピアコス 88 (5)
2004-2005 スイスの旗 セルヴェット 23 (2)
2005-2006 フランスの旗 バスティア 7 (0)
1990-2006 通算 414 (23)
代表歴
1992-2002 フランスの旗 フランス 53 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年8月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリスティアン・カランブーChristian Karembeu, 1970年12月3日 - )は、ニューカレドニアリフ出身の元フランス代表サッカー選手。現役時代のポジションはMF(守備的ミッドフィールダー)。現在はオリンピアコスFCのスポーティングディレクターを務めている[2]

経歴

1970年にニューカレドニアからフランスへと移住、その後FCナントの下部組織に加入した[1]。 1990年、20歳でFCナントでデビューを飾る[1]。1994-95シーズン、クロード・マケレレパトリス・ロコベノワ・コウエらを擁し、リヨンに10ポイントの差をつけて、リーグ優勝を果たした[1]

1995-96シーズン、セリエAUCサンプドリアへ移籍。前年まで在籍していたルート・フリットを思わせる風貌であったことから、好奇の目で見られることもあった[1]。8月27日、セリエAのデビュー戦となった、ASローマとの対戦でいきなりゴールを決めた[1]。第3節のパルマ戦では、キャリアで初の2得点をあげた[1]。このシーズン、レギュラーとして32試合で5得点を決めた[1]。1996年のユーロに出場した後、レアル・マドリードからオファーを受けたが、マントバーニ会長は、オファーをしていたもう一方のチームである、FCバルセロナに強制的に売却しようとし、チームとの間に亀裂が生じた[1]。1996-97シーズン、低調なプレーを見せることが多く、ファンからブーイングを浴びせられることもあった[1]

1997年にプリメーラ・ディビシオンレアル・マドリードに移籍、中盤の右サイドで起用され、疲れを知らない献身的プレーで、フェルナンド・レドンドのゲームメークを助けた[3]。このシーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、準々決勝のバイヤー・レヴァークーゼン戦では、第1戦、2戦でそれぞれ1得点を決めると、準決勝のボルシア・ドルトムント戦の第1戦でも得点を決めた[1]。決勝では、ユヴェントスを破って優勝を果たした[3]

フランス代表としては、53試合に出場した[3]。1996年のユーロでは、自身の価値を証明するプレーを見せた[1]フランスW杯では、準決勝のクロアチア戦でロベルト・ヤルニをよく抑えてチームに貢献[3]。決勝のブラジル戦でも先発起用されて優勝を果たした[3]EURO2000でも同国の優勝に貢献した。

1995年と1998年にオセアニア年間最優秀選手賞を受賞している。

2000年にプレミアリーグミドルズブラFCへ移籍、レギュラーとして36試合で4得点を決めるなど、良いシーズンを送った[1]。その後、オリンピアコスに移籍、3シーズンで2度のリーグ優勝を果たした[1]セルヴェットを経て、2005-06シーズンにSCバスティアへ移籍したが、シーズン終了後に34歳で選手生活に終止符を打った[1]

現役引退後はFIFAオセアニア大使として、同地域のサッカー活性化に一役買っている。

エピソード

代表歴

代表での成績

出典[5]


フランス代表国際Aマッチ
出場得点
1992 1 0
1993 0 0
1994 6 0
1995 4 1
1996 13 0
1997 4 0
1998 10 0
1999 4 0
2000 4註1 0
2001 6 0
2002 1 0
合計 53 1

註1 フランスサッカー連盟2000年8月16日に行われたFIFA選抜戦を国際Aマッチとして認めている[5]

個人タイトル

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Christian Karembeu, plurivincente del calcio e uomo copertina”. GOAL (2022年12月3日). 2023年8月19日閲覧。
  2. ^ Christian Karembeu: Olympiakos sporting director on owner's project at Nottingham Forest”. BBC Sport (2019年7月18日). 2020年8月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e Christian Karembeu: The angry man from New Caledonia who became one of France’s best”. FIFA (2023年3月10日). 2023年8月19日閲覧。
  4. ^ 広岡裕児 (2018年11月8日). “仏領ニューカレドニアの差別と血に濡れた独立運動”. ニューズウィーク. https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/11/post-11260_1.php 2018年11月9日閲覧。 
  5. ^ a b Joueur - Christian KAREMBEU”. Fédération Française de Football. 2017年7月7日閲覧。

外部リンク

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