12世紀頃には、クリャージマ川沿いにはスタロドゥーブ=ナ=クリャージマ(Стародуб на Клязьме)の町があり、その近くにあったコヴロフは、ロジェストヴェンスコエという名の小さい村にすぎなかった。この名前は、アンドレイ・ボゴリュブスキー公が建てた木造の聖堂、救世主降誕聖堂の名にちなむ。16世紀にはヴァシーリー・アンドレイエヴィチ・スタロドゥーブスキー公がモスクワ大公国によりこの一帯の統治を任された。言い伝えでは、タタール人との戦いでスタロドゥーブスキーはオリエント製の豪華な絨毯を手に入れ、その一族は後にこれを記念してロジェストヴェンスコエをコヴロヴォ(ロシア語の「絨毯」より)と改名したとされる。16世紀末ごろには、モスクワから東へ伸びる街道と、当時は水運の大動脈であったクリャージマ川の両方が通るコヴロフは市場の立つ町として栄え始めた。