ジャパンボウル(Japan Bowl)は、1976年から1993年まで、日本で行われていたNCAA公認のカレッジフットボールの東西対抗オールスター戦。第1回大会は東京・国立競技場に主催者発表で68,000人の観衆を集めた[1]。国立競技場の他、横浜スタジアム、東京ドームで開催された。
アメリカ合衆国建国200年(英語版)を記念して企画された[2]。
1985年から1989年まではリコー、1990年、1991年はマイカルがスポンサーであったが、1992年から冠名はなくなった[3]。
回数 |
開催日 |
勝利チーム |
スコア |
敗戦チーム |
スコア |
競技場 |
観衆 |
MVP
|
1 |
1976年1月18日 |
西軍 |
27 |
東軍 |
16 |
国立競技場 |
68,000 |
チャック・マンシー(カリフォルニア大学) (Chuck Muncie) , RB[4]
|
2 |
1977年1月16日 |
西軍 |
21 |
東軍 |
10 |
国立競技場 |
58,000 |
ロビン・アール(ワシントン大学) (Robin Earl) , RB/TE[4]
|
3 |
1978年1月14日 |
東軍 |
26 |
西軍 |
10 |
国立競技場 |
33,000 |
ジミー・セファーロ(ペンシルベニア州立大学) (Jimmy Cefalo) , RB[4]
|
4 |
1979年1月14日 |
東軍 |
33 |
西軍 |
14 |
国立競技場 |
55,000 |
スコット・フィッツキー(ペンシルベニア州立大学) (Scott Fitzkee) , RB[4]
|
5 |
1980年1月13日 |
西軍 |
28 |
東軍 |
17 |
横浜スタジアム |
27,000 |
ポール・キャンベル(オハイオ州立大学)[5] Paul Campbell, RB[4]
|
6 |
1981年1月18日 |
西軍 |
25 |
東軍 |
13 |
横浜スタジアム |
30,000 |
J・C・ワッツ[6](オクラホマ大学)[7] (J. C. Watts) , QB[4]
|
7 |
1982年1月17日 |
西軍 |
28 |
東軍 |
17 |
横浜スタジアム |
28,000[8] |
レオ・ウィズニュースキー[9](ペンシルベニア州立大学) (Leo Wisniewski) , OL[4]
|
8 |
1983年1月23日 |
西軍 |
30 |
東軍 |
21 |
横浜スタジアム |
30,000 |
リチャード・ニーリー(南メソジスト大学)[10][11] Richard Neely, DL[4]
|
9 |
1984年1月16日 |
西軍 |
27 |
東軍 |
16 |
横浜スタジアム |
26,000 |
アービン・フライヤー(ネブラスカ大学)[12] (Irving Fryar) , WR[4]
|
10 |
1985年1月13日 |
西軍 |
28 |
東軍 |
14 |
横浜スタジアム |
30,000 |
ゲイル・ギルバート(カリフォルニア大学)[13][14] (Gale Gilbert) , QB[4]
|
11 |
1986年1月12日 |
東軍 |
31 |
西軍 |
14 |
横浜スタジアム |
30,000 |
ボー・ジャクソン[15][16] (Bo Jackson) , RB[4]
|
12 |
1987年1月11日 |
西軍 |
24 |
東軍 |
17 |
横浜スタジアム |
30,000 |
トロイ・ストラドフォード(ボストンカレッジ)[17][18] (Troy Stradford) , RB[4]
|
13 |
1988年1月10日 |
西軍 |
17 |
東軍 |
3 |
横浜スタジアム |
30,000 |
チャド・ヘニングズ(空軍士官学校)[19][20] (Chad Hennings) , DL[4]
|
14 |
1989年1月16日 |
東軍 |
30 |
西軍 |
7 |
横浜スタジアム |
29,000[21] |
マーク・メズナー(ミシガン大学)[22] (Mark Messner) , DL[4]
|
15 |
1990年1月14日 |
東軍 |
24 |
西軍 |
10 |
横浜スタジアム |
|
アンソニー・トンプソン(インディアナ大学)[4][23] (Anthony Thompson)
|
16 |
1991年1月14日 |
西軍 |
20 |
東軍 |
14 |
横浜スタジアム |
|
ビル・マスグレイブ(オレゴン大学)[4][24] (Bill Musgrave)
|
17 |
1992年1月12日 |
東軍 |
14 |
西軍 |
13 |
東京ドーム |
50,000 |
タイ・デトマー(ブリガムヤング大学)[25] (Ty Detmer) , QB
|
18 |
1993年1月10日 |
東軍 |
27 |
東軍 |
13 |
東京ドーム |
|
マーク・ブルネル(ワシントン大学)[26][27] (Mark Brunell) , QB
|
単独チーム同士のNCAA公式戦
ジャパン・ボウルの名前を使用した試合
脚注
- ^ 第1回ジャパンボウル 本場の迫力と妙技 6万8000人が酔う 読売新聞 1976年1月19日朝刊 16ページ
- ^ 本場のアメフトに声援 横浜球場 1989年1月17日 朝刊
- ^ 冠大会に不況の風 スポンサーの降板目立つ 代役が見つからない例も 朝日新聞 1992年11月16日 夕刊3ページ
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “Japan Bowl Trophy”. 2013年7月9日閲覧。
- ^ ヒップ逆転TD 雪中に激突ジャパンボウル 終盤に攻勢、西軍3勝 読売新聞 1980年1月14日朝刊18ページ
- ^ 後にアメリカ合衆国下院議員
- ^ "弾丸" マクニール逆転TD ジャパンボウル 西軍が2連勝 読売新聞 1981年1月19日朝刊17ページ
- ^ 西軍、逆転で三連勝 土壇場で二TD鮮やか ジャパンボウル 朝日新聞 1982年1月18日朝刊18ページ
- ^ スティーブ・ウィズニュースキーの兄
- ^ 西軍勝ち6勝2敗に ジャパンボウル 1983年1月24日 朝刊16ページ
- ^ 西軍が四連勝 ジャパンボウル 朝日新聞 1983年1月24日朝刊19ページ
- ^ 西軍、逆転で五連勝 ジャパンボウル 朝日新聞 1984年1月17日朝刊16ページ
- ^ 西軍が圧倒6連勝 MVPにQBギルバート(西軍)ジャパンボウル 読売新聞 1985年1月14日朝刊16ページ
- ^ 西軍、堅守で6連勝 ピッツ、ダメ押しTD 朝日新聞 1985年1月14日朝刊18ページ
- ^ ハイズマン賞の貫録 ジャクソン3TD ジャパンボウル、東軍圧勝 読売新聞 1986年1月13日朝刊16ページ
- ^ 快走の東軍が大勝 ジャクソン 57ヤード独走 ジャパンボウル 朝日新聞 1986年1月13日朝刊19ページ
- ^ 西軍、第4Qに逆転 ジャパンボウル 読売新聞 1987年1月12日朝刊17ページ
- ^ 鮮やかプレー 西軍が逆転劇 ジャパンボウル(全米大学東西対抗戦) 朝日新聞1987年1月12日朝刊19ページ
- ^ [アメリカンフットボール ジャパンボウル]10日 西軍堅守、1FGで2連勝 読売新聞 1988年1月11日朝刊15ページ
- ^ 守備陣活躍、西軍が快勝 ジャパンボウル 朝日新聞1988年1月11日朝刊25ページ
- ^ 本場のアメフトに声援 横浜球場 朝日新聞横浜版 1989年1月17日朝刊
- ^ [アメフト ジャパンボウル]16日 東軍、3年ぶりV "MVP"にメズナー 読売新聞 1989年1月17日朝刊18ページ
- ^ [アメフト ジャパンボウル]14日 東軍、2年連続優勝 MVPはトンプソン 読売新聞 1990年1月15日朝刊20ページ
- ^ アメフト ジャパンボウル13日 西軍、押し切り雪辱 MVPはマスグレイブ
- ^ アメフト ジャパンボウル12日 東軍が1点差で逆転勝ち 読売新聞 1992年1月13日朝刊18ページ
- ^ アメフト ジャパンボウル10日 東軍、パス封じV インターセプト4度 読売新聞 1993年1月11日朝刊21ページ
- ^ 東軍後半突き放す ティグ47ヤード独走で決める ジャパンボウル 朝日新聞 1993年1月11日朝刊23ページ