ジャン=ジェルマン・ドルーエ
ジャン=ジェルマン・ドルーエ(Jean-Germain Drouais、1763年11月25日 - 1788年2月13日)は、フランスの画家である。新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)の弟子、助手となったが、24歳でローマで病死した。 略歴パリで、人気のあった肖像画家、フランソワ=ユベール・ドルーエ(1727-1775)の息子に生まれた。父親から美術を学んだが12歳の時、父親が亡くなった。歴史画家のニコラ=ギー・ブレネ(Nicolas-Guy Brenet: 1728-1792)から絵を学んだ。1780年にローマから帰国したジャック=ルイ・ダヴィッドがパリにスタジオを開いた時、ダヴィッドの最初の弟子の1人となり、熱心にダヴィッドのスタイルを吸収し、お気に入りの弟子、助手となった。 若手美術家の登竜門であるローマ賞のコンクールに1783年に挑戦するが、その年は競争相手の作品を見て自らの作品を破棄し、参加を断念した。翌年「Le Christ et la Cananéenne」という作品を出展し、1等を受賞した。この作品は現在、ルーブル美術館に収蔵されている。 ローマに留学し、当時はマンチーニ宮殿(Palazzo Mancini)に置かれていた在ローマ・フランス・アカデミーに滞在し、ローマではその頃、2度目のローマ滞在をしていたダヴィッドの大作『ホラティウス兄弟の誓い』の制作の助手も務め、ダヴィッドはドルーエがかけがえのない弟子だと手紙に書いた[1]。 1786年には現在ルーブル美術館に収蔵されている『ミントゥルナエのマリウス』を完成させた。この作品は当時ローマに旅していたゲーテに感銘を与えたとされ、劇作家のアントワーヌ・ヴィンセント・アルノー(Antoine-Vincent Arnault)の1791年の戯曲『マリウス』にインスピレーションを与えたとされる。 ローマでの活動を続けたが、1788年に天然痘に罹患し、24歳で亡くなった。 作品
脚注
参考文献
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