The French Chef, "Julia Child: bon appétit", Julia Child & Company, Dinner at Julia's, Cooking with Master Chefs, In Julia's Kitchen with Master Chefs, Baking with Julia, Julia Child & Jacques Pépin Cooking at Home
チャイルドは、ルーアンでの最初の食事を、料理の啓示として繰り返し回想しており、ニューヨークタイムズではカキ、ヒラメのムニエル、上質なワインの食事を「私にとっての魂と精神の開放」と表現した。彼女はパリで有名なル・コルドン・ブルー料理学校に通い、後にMax Bugnardやその他の熟練シェフから個人的に教えを受けた[15]。彼女は女性のための料理クラブLe Cercle des Gourmettesに参加し、そこでルイゼット・ベルトレ(英語: Louisette Bertholle)と共にアメリカ人向けのフランス料理本を執筆していたシモーヌ・ベック(英語: Simone Beck)に出会う。ベックは、よりアメリカ人にアピールできる本になるよう、チャイルドへ本の製作への参加を提案した。1951年、チャイルド、ベック、そしてベルトレは、チャイルドのパリのキッチンでアメリカ人女性向けの料理教室を始め、この非公式な学校をL'école des trois gourmandes(三人の美食家の学校)と名付けた。その後10年間、チャイルド夫妻はヨーロッパ中を移り住み、最終的にマサチューセッツ州ケンブリッジに引っ越したが、その間3人はレシピを研究し、繰り返しテストし続けた。チャイルドはフランス語を英語に翻訳し、レシピを詳細で、面白く、実用的にした。
チャイルド、ベルトレ、ベックの3人の著者は、最初に出版社Houghton Mifflinと契約を結んだが、百科事典のようであるという理由から、後に原稿が拒否された。最終的に1961年にAlfred A. Knopfから初版が出版された、726ページに及ぶMastering the Art of French Cooking(英語版)[18]はベストセラーとなり、1960年代初期のアメリカでのフランス文化への興味の高まりも手伝い、批評家からの高い評価を受けた。そのわかりやすいイラストと細部への的確なこだわり、そして高級料理を身近なものにしたことで賞賛されたこの本は、現在もなお増刷されており、料理界の発展に寄与した功績とされている。この本の成功の後、チャイルドはボストングローブ紙に雑誌記事と定期コラムを執筆し、自著と共著を合わせ、20冊近い本を出版した。そのうちの多くは彼女のテレビ番組に関連したものだった。彼女の最後の本は、彼女の兄妹の孫であるアレックス・プルードムとの共著で、彼女の没後の2006年に出版された自伝的作品 My Life in Franceである。この本では、第二次世界大戦後のフランスでの、夫ポール・クッシング・チャイルドとの暮らしについて回想している。
The French Chefと関連書籍
1962年に、当時のボストンの国立教育テレビ (NET)局であったWGBH-TV (現在は主要な公共放送局となっている)の書籍レビュー番組にチャイルドが出演した際の、オムレツの調理実演が視聴者から好評だったことが、彼女の最初のテレビ料理番組へと繋がった。1963年2月11日にWGBHで放映が開始されたThe French Chef は、すぐに人気を博し、10年に渡り全国で放送され、ピーボディ賞やエミー賞を受賞。テレビ料理人はそれ以前にも存在したが、彼女はその陽気な熱意、特徴的なウグイスのような声、そして気取りのなく、ありのままのしぐさで幅広い視聴者を引き付け、もっとも幅広く視聴されたテレビ料理人となった。1972年、The French Chefは、テスト段階のオープンキャプション技術を使用したものではあったが、聴覚障害者向けのキャプション(字幕)を付けた最初のテレビ番組となった。
チャイルドの2冊目の本、The French Chef Cookbookは、彼女の番組内で実演したレシピを集めたものだった。その後すぐ、1971年に、シモーヌ・ベックとの共著でMastering the Art of French Cookingの第2巻を出版したが、ビジネス上の関係を絶ったルイゼット・ベルトレは参加しなかった。チャイルドの4冊目の本、From Julia Child's Kitchenは、夫の撮影した写真や、The French Chef のカラードキュメントのほか、番組製作の過程でチャイルドが編集した調理メモ集で構成されている[19]。
アメリカの家庭への影響
ジュリア・チャイルドはアメリカの家庭や主婦に大きな影響を与えた。1960年代の技術レベルにより彼女の番組は編集されず、最終版にも彼女が不注意のミスをする様子が映っていたことが、結果的に「テレビに対する信頼性と親近感」を与えることとなった。[20]Screening Food: French Cuisine and the Television Palateの著書 トビー・ミラーは、彼が話を聞いたある母親は、チャイルドを見ると心が落ち着き、現実から逃避できるため、「私と狂気の間に立っていたのは、陽気なジュリア・チャイルドだった」と話した。さらにミラーは、チャイルドの番組が始まったのは1960年代のフェミニスト運動の前で、当時は主婦や女性が直面する問題がテレビで取り扱われていなかったことにも言及している。[21]
後のキャリア
1981年、彼女は、かねてより出版やテレビ出演を通して追い求めていた「ワインと食品に対する理解、賞賛、品質を前進させる」という目的のため、ワイン醸造業者のロバート・モンダヴィやリチャード・グラフなどとともにAmerican Institute of Wine & Food(英語版)を設立した[22]。1989年には、彼女が自身の最高傑作だと自負する書籍と教育ビデオのシリーズ The Way of Cookを出版した。
1990年代には、Cooking with Master Chefs, In Julia's Kitchen with Master Chefs, Baking with Julia, Julia Child & Jacques Pépin Cooking at Homeの 4つのシリーズに出演。テレビ番組や料理本製作のためにジャック・ペパンと何度も協働した。この時期のチャイルドの本はすべて、同名のテレビシリーズを元に制作された。
チャイルドの夫によって設計され、3つのテレビ番組の舞台となったジュリア・チャイルドのキッチンは、現在、ワシントンDCの国立アメリカ歴史博物館に展示されている。In Julia's Kitchen with Master Chefsの撮影を皮切りに、ケンブリッジのチャイルド家の自宅キッチンは、テレビ用の照明、部屋のあらゆる角度を捉える3台のカメラ、ガスコンロと電気コンロ付きの巨大なアイランド式調理台を備えたセットへと完全に形を変えたが、「ドアがキーキー鳴る私のウォールオーブン」を含む、チャイルドのその他の調理機器はそのまま残された[26]。このキッチンでは、1990年代のチャイルドのほぼすべてのテレビシリーズが撮影された。
晩年と死
最愛の友人であったシモーヌ・ベックの死後、チャイルドは1992年6月に彼女の家族、姪のフィラ、親友で伝記作家のノエル・ライリー・フィッチと1カ月間滞在した後、La Pitchouneを手放した。彼女とポールは、30年近く前に約束したように、鍵をジャン・フィッシュバッハーの妹に返却した。同じ1992年には、ジュリアはレガレアリ・ワイナリーの招待でシチリアで5日間を過ごした。アメリカのジャーナリスト ボブ・スピッツは、のちに出版されるHistory of Eating and Cooking in Americaの為の研究・執筆中に、チャイルドと短い時間を過ごした。1993年、チャイルドはアニメーション映画We're Back! A Dinosaur's Storyでブリーブ博士の声を演じた。
2004年8月13日、チャイルドは92歳の誕生日の2日前に、カリフォルニア州モンテシートで腎不全により死去[37]。彼女の最後の食事はフレンチオニオンスープだった。[38] チャイルドは彼女の最後の本、My Life in Franceを「... 今振り返れば、食卓と人生の喜びは無限であることを思い出す – toujours bon appétit!(いつだって、良い食事を!)」と締めくくっている[29]。
レガシー
ジュリア・チャイルド財団
1995年、チャイルドは、The Julia Child Foundation for Gastronomy and Culinary Arts(美食と料理の芸術のためのジュリア・チャイルド財団)を設立した。当初マサチューセッツ州に設立された財団は、後にカリフォルニア州サンタバーバラに移転し、現在も本部を構えている。2004年にチャイルドが亡くなるまで活動は行われていなかったが、財団は他の非営利団体に助成を行っている[39]。助成金は、チャイルドの生涯における最重要事項であった、美食、料理の芸術、食のプロの世界のさらなる発展を支援している。財団のウェブサイトには、助成金受領団体リストの専用ページがあり、団体と、財団の助成金に関する説明が記載されている[40]。助成金の受領団体のひとつは、食料、飲料、農業の世界をカバーするHeritage Radio Network(英語版)である。
Primordial Soup With Julia Childというタイトルの映像が、1976年からギャラリーが閉鎖されるまで、スミソニアン国立航空宇宙博物館の「宇宙での生活」ギャラリーで放映されていた。
Keep On Cooking – Julia Child Remixed は、チャイルドの生誕100周年を記念し、PBS Icons Remixedシリーズの一部としてジョン D. ボズウェルがPBSの為に制作した映像。チャイルドの声を、ボーカルサンプルから派生したメロディに自動調整し、チャイルドのさまざまなテレビシリーズのビデオクリップにシンクロさせている。