ジョン・ケネス・コールドウェル(John Kenneth Caldwell, 1881年10月16日 - 1982年)は、アメリカ合衆国の外交官。主にアジア極東地域で活動し、また国際的な薬物問題に関する実務交渉を担った。
生涯
オハイオ州パイクトンにて誕生[1]。1905年にベレア大学を卒業[1]。1906年に財務省建築監督室(英語版)で研究助手[1]。
国務省で1906年10月1日の試験を経て、10月8日に日本語通訳研修生として採用[1]。1909年4月16日から横浜で副総領事兼通訳[2]。1909年12月4日から東京大使館で書記官補[1]。1911年1月17日から2月17日まで一時的に大連副領事[2]。1914年8月1日からウラジオストク領事[2]。1915年2月5日に6級領事に昇級[1]。1917年4月16日に5級領事に昇級[1]。1919年9月5日に4級領事に昇級[1]。1920年6月4日に3級領事に昇級[1]。
1920年7月1日から神戸領事[2]。1921年7月1日から東京で日本大使館付書記官[1]。1921年10月から1922年2月までチタ領事[1]、特別勤務[3]として1921年11月2日に着任[4]。1924年6月6日から国務省本省勤務[1]。1924年6月3日に4級総領事に昇級[1]。1924年7月1日に3級外交官に昇級[1]。
1925年11月19日から国務省極東局長補佐[1]。1925年11月25日の連邦麻薬取締委員会では国務長官室の代表として出席[1]。1927年6月8日に2級外交官に昇級[1]。1927年8月15日から国務省極東局長代行[1]。1928年3月26日からジュネーブ配属、麻薬事案に関連した職務に従事[1]。1928年6月13日から国務省本省、麻薬の取引規制に関連した特別任務に従事[1]。国際連盟の阿片及び他の危険薬品の取引諮問委員会の第11回会議(1928年)、第12回会議(1929年)、第13回会議(1930年)にオブザーバーとして参加[5]。1930年5月9日に1級外交官に昇級[5]。
1931年、ジュネーヴにおける阿片及び他の危険薬品の取引諮問委員会の第14回会議に、専門家および顧問として議決権を持って出席[5]。1931年のジュネーヴにおける麻薬製造制限会議について、前年のロンドンでの予備会議にアメリカ政府代表委員として参加[5]。1931年の本会議では議長およびアメリカ政府代表委員[5]。1931年のバンコク極東阿片吸引会議にオブザーバーとして出席[5]。
1932年1月19日からシドニー総領事[5]。1935年3月13日から1941年12月7日まで天津総領事[5]。1942年6月3日から国務省本省勤務[5]。1943年4月14日に駐エチオピア弁理公使に任命[6]。1943年8月31日に信任状奉呈[6]。1943年10月7日に駐エチオピア特命全権公使に昇任[6]。1943年12月9日に信任状奉呈[6]。1945年8月26日に退任[6]。
出典