スカパンの悪だくみ『スカパンの悪だくみ』(スカパンのわるだくみ、仏語原題: Les Fourberies de Scapin )は、モリエールの戯曲。1671年発表。パレ・ロワイヤルにて同年5月24日初演。 登場人物
あらすじ舞台はナポリ。 第1幕オクターヴとシルヴェストルの会話から幕開け。オクターヴの父親、アルガントは仕事仲間のジェロントと共に2か月前から仕事の都合で船に乗っていた。2人はその父親が帰ってくると知って焦っている。オクターヴは、ジェロントの娘との結婚を押し付けられている上に、すでにイアサントと秘密裡に結婚をしたことが知られてしまっているからであり、シルヴェストルはオクターヴの世話役を任されながらも、彼の結婚を止めなかったからだ。上手く策略が思いつかない2人は、機知縦横を誇るスカパンに助けを求めることにした。スカパンはオクターヴに、アルガントへの弁解の仕方を練習させるが、いざアルガントが現れると、怖気づいて逃げ出してしまった。しかたなく独力でアルガントを言いくるめるスカパンであった。 第2幕ジェロントに会って感激するレアンドルであったが、ジェロントは違った。アルガントに息子の不埒行為のことで嫌味を言ったら、逆に「スカパンからレアンドルの方がもっとひどいことをしでかしたと言っていた」と切り返されたからだ。スカパンにだけ打ち明けていた秘密をあっさりばらされたと知って、激怒し、スカパンを斬り倒しかねない勢いで問い詰めるレアンドル。そこへカルルがやってきた。ゼルビネットがジプシーに連れ出されそうになっており、2時間以内に身代金を届けてもらえないと永遠に会えなくなってしまうという。そこでスカパンは、イアサントのために金が必要なオクターヴ、ならびにレアンドルのため、金を各々の父親から巻き上げることにした。初めにアルガントからだますことにしたスカパンは「イアサントの兄は殺し屋なので、彼に賄賂を贈れば結婚を破断にできる」と話をでっちあげ、金を巻き上げようとするが、成功しかかって失敗してしまった。だがそこへ、イアサントの兄に扮装したシルヴェストルがやってきた。金にありつけないことが分かって、アルガントを含む何人もの人をぶった斬ると息巻く。それを隠れて聞いていたアルガントは、ふるえながら金を出すことを決意するのだった。無事1人片付けるのに成功したので、今度はジェロントに取り掛かる。「レアンドルがトルコ軍艦にうっかり乗り込んでしまい、身代金を請求されている」という話をでっちあげた。こちらも無事金を巻き上げるのに成功したが、先ほどレアンドルに危うく斬り倒されそうになった件を忘れられず、ジェロントに対する怒りが収まらないので、ちょっとしたいたずらを決意するスカパンであった。
第3幕ジェロントへのいたずらを実行に移すスカパン。ジェロントに「イアサントの兄である殺し屋が、旦那様を殺すために探し回っている」と吹き込む。助けを求めたジェロントは、スカパンの策にしたがって袋の中へ入ることにした。スカパンにそれを背負わせて、逃げ出そうという算段である。歩き出した途中で、殺し屋に出会ったふりをし、声を変えて1人で2役をこなすスカパン。その話の成り行きとして、袋をぶん殴ることで、ジェロントへの軽い悪戯としたのであった。それを2度繰り返すが、3度目の最中にジェロントが袋から顔を出したことで、ばれてしまう。そこへ笑いながら登場するゼルビネット。彼女は目の前にいる男がジェロントとは知らず、スカパンがジェロントから金を巻き上げた話を、笑い話として話してしまった。すべてに気づいたジェロントとアルガントは、仕返ししようと考えるが、そこへネリーヌがやってきた。彼女をきっかけに、イアサントがジェロントの娘であること、ゼルビネットはアルガントの娘であることが判明したのだった。親同士のもくろみ通りの結婚は果たされ、アルガントの亡くしたと思っていた娘は見つかり、すべてことは丸く収まる。幕切れ。 成立過程本作はテレンティウスの戯曲「ポルミオ( Phormio )」に着想を得て、それに道化役者タバラン好みの笑劇的な要素を多分に盛り込んで完成した[1]。 オクターヴとレアンドルの性格描写などはテレンティウスとほぼ同じであるが、古代ローマ劇に特有の居候や奴隷と言った登場人物は省いた代わりに、スカパンという悪知恵に長けた従僕を登場させ、縦横に活躍させている。このスカパン(イタリア語ではスカッピーノ)は、本来イタリア喜劇に出てくる従僕の一つの型である。モリエールの最初の喜劇作品「粗忽者」は、イタリアの作家ベルトラーメの芝居の翻案であり、この芝居の主人公マスカリーユは、原作ではスカッピーノと言う名前である[1]。 タバランはポン・ヌフにおいて活動していた大道芸人で、イタリアを起源とするファルスを好んで演じていた。彼の出し物の中には、「亭主や空威張りする隊長を袋に入れて引っぱたく」場面があったことは、それを立証する記録が遺っている。本作にそれが取り入れられている。モリエールはポン・ヌフの近くの家で幼少期を過ごしたので、彼の芸を観たのは確実であろう。モリエールの側近で劇団の会計係を務めていたラ・グランジュの帳簿によれば、「袋のなかのゴルジビュス」なる作品を1661,3,4年の3回にわたって上演したと記録されている。これを発展させて、数年後に「スカパンの悪だくみ」が完成したものと思われる[1]。 この芝居は「ポルミオ」から粗筋を借り、タバラン風の一場面を付け加えただけでなく、プラウトゥスなどの他の作家などから多くの借用を行っている。特にシラノ・ド・ベルジュラックの「愚弄された衒学者」からは第二幕第四場を遠慮会釈もなく拝借するに及んでいる。それが第2幕第10景の「トルコの軍艦」の場面である[注 1]。然しながら、この場面は抑もシラノの独創では無論無く、1611年に出版されたフラミオ・スカーラの『隊長』と言う芝居の中の筋書に見出されるものである[1]。また、第三幕第三場におけるゼルビネットとジェロントの対話の場面は、「愚弄された衒学者」の第三幕第二場と酷似している。モリエールがシラノの芝居を読んでいた事は間違いの無い事と思われはするが、古典作家にとって模倣は常であるとは言え、この場合は同時代人からの借用の跡があまりにも歴然であるがゆえに、ボアローは問題にしたのであろう[注 2][注 3]。 現在ではフランス国内外をはじめ、頻繁に上演されているが、モリエールが生存中は失敗に近い興行成績しか上げられなかった[3]。当時のパリ市民たちは本作よりも、歌や舞踊がふんだんに取り入れられている「町人貴族」のほうをより好んだようである[3]。 解説
評価
日本語訳
翻案注釈
出典
参考文献
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