セイントバラード (Saint Ballado[2]) とはカナダ生産のアメリカの競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に1992年のアーリントンクラシックステークスおよびシェリダンステークス。
経歴
- 特記事項なき場合、本節の出典はEQIBASE[1]
1991年8月15日、アーリントンパーク競馬場でのメイドン競走でデビューし、2着。2歳時はこの1走で切り上げ、翌1992年1月のガルフストリームパーク競馬場でのメイドン競走で初勝利。続く2走はアローワンス競走に使われて2着、1着としたあとジムビームステークス(英語版)でリルイーティーの5着、ブルーグラスステークスでもピストルアンドローゼスの5着に終わって三冠路線には向かわなかった。5月アーリントンパークのG3競走シェリダンステークス[3]と6月のアーリントンクラシックステークス[3]を連勝しハスケルインビテーショナルハンデキャップに向かったがテクノロジーの4着に終わり、これが最後の競馬となった。
競走成績
以下の内容は、EQIBASE[1]の情報および記載法に基づく。
出走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離 |
頭数 |
枠番 (PP) |
馬番 (Pgm) |
着順 |
騎手 |
斤量(lb./kg換算) |
タイム |
着差/タイム差 |
勝ち馬/(2着)馬
|
1991.08.15
|
アーリントンパーク
|
メイドン
|
|
ダ6f
|
12
|
9
|
9
|
2着
|
P. デイ
|
119/54
|
|
(3馬身1/2)
|
Return to Quarters
|
1992.01.26
|
ガルフストリームパーク
|
メイドン
|
|
ダ6f
|
10
|
8
|
8
|
1着
|
R. ロペス
|
120/54.5
|
1:10.94
|
ハナ
|
(Dont Sell the Farm)
|
0000.02.17
|
ガルフストリームパーク
|
アローワンス
|
|
ダ7f
|
11
|
10
|
10
|
2着
|
J. クローン
|
117/53
|
|
(3馬身)
|
Concorde's Tune
|
0000.03.14
|
ガルフストリームパーク
|
アローワンス
|
|
ダ8.5f
|
12
|
6
|
6
|
1着
|
J. クローン
|
112/51
|
1:44.23
|
2馬身
|
(Sunnybutcold)
|
0000.03.28
|
ターフウェイパーク
|
ジムビームS
|
G2
|
ダ9f
|
11
|
5
|
5
|
5着
|
J. クローン
|
121/55
|
|
(7馬身1/4)
|
Lil E. Tee
|
0000.04.11
|
キーンランド
|
ブルーグラスS
|
G2
|
ダ9f
|
11
|
9
|
9
|
5着
|
R. マクナイト
|
121/55
|
|
(7馬身1/4)
|
Pistols and Roses
|
0000.05.25
|
アーリントンパーク
|
シェリダンS
|
G3
|
ダ8f
|
8
|
2
|
2
|
1着
|
J. ヴェラスケス
|
113/51.5
|
1:36.10
|
7馬身
|
(Ten Sins)
|
0000.06.21
|
アーリントンパーク
|
アーリントンクラシックS
|
G2
|
ダ9f
|
6
|
6
|
6
|
1着
|
J. クローン
|
120/54.5
|
1:46.82
|
4馬身1/2
|
(Desert Force)
|
0000.08.21
|
モンマスパーク
|
ハスケル招待H
|
G1
|
ダ9f
|
9
|
3
|
4
|
4着
|
J. クローン
|
118/53.5
|
|
(7馬身1/4)
|
Technology
|
引退後
引退後は種牡馬とするため馬主は奔走するが、良血馬ながらケンタッキー州では相手にされず、最終的には繋養先はフロリダ州のオカラスタッドとなる[4]。それも、最初は75万ドルで売却予定が40万ドルに下がり、最後は9万ドルに値切られた結果であった[4]。種付料は2500ドルに設定された[4]。このような境遇ながら、オカラスタッド側では良血に未来の価値を見出し、もし成功したなら多大な幸運が来るとしていた[4]。初年度産駒からフロリダダービー優勝馬キャプテンボジットを送り出し[4]、その後も一定の繁殖成績をおさめてテイラーメイドファームへの移動を果たした。しかし2002年秋、脊髄の病に冒されたため矯正手術を受けてテイラーメイドファームに戻った後合併症を起こして重篤となり、手の施しようがなくなったため10月20日に安楽死の処置がとられた[3]。
死後、まず2004年にアシェイド (Ashado) がケンタッキーオークス、コーチングクラブアメリカンオークス、ブリーダーズカップ・ディスタフなどに優勝し、エクリプス賞最優秀3歳牝馬を受賞[5]。翌2005年には牡駒のセイントリアム (St. Liam) が中距離路線で活躍し、この年の年度代表馬に、またアシェイドも再び年度表彰を受け、この2頭の活躍によりセイントバラードは2005年度北米リーディングサイアーとなった[5]。しかしその後、後継種牡馬として期待されたセイントリアムは不慮の事故により、1世代の産駒を残しただけで死亡した。
父ヘイローは日本で種牡馬として大活躍していたサンデーサイレンスと同じであり、甥のシングスピールがジャパンカップに優勝した翌年の1997年には、日本への導入が予定されていたが、アメリカで受けた予防接種のワクチン が日本の検疫条項に抵触したため、実現しなかった。
主な産駒
※G1競走優勝馬のみ。
血統表
脚注
参考文献
- 日本中央競馬会『優駿』2000年12月号 84-85頁「世界の名馬『世界的な名血を受け継ぐ - セイントバラード』」
外部リンク