セルジ・バルフアン
セルジ・バルフアン・エスクルサ(SERGI Barjuan Esclusa, 1971年12月28日 - )は、スペイン・ラス・フランケサス・ダル・バリェス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。スペイン代表であった。ポジションはDF(左サイドバック)。 下部組織を経て10年近くFCバルセロナに在籍し、数々のタイトルを獲得するとともにキャプテンも務めた。移籍記者会見では「俺は何処に行こうがバルセロニスタ、一度心に染まった色は決して変わることはない。」と言い残してアトレティコ・マドリードに移籍した[要出典]。プロデビューしてすぐにスペイン代表デビューし、2度のFIFAワールドカップと2度のUEFA欧州選手権に出場した。 来歴選手時代クラブFCバルセロナの下部組織出身で、1993年11月24日のUEFAチャンピオンズリーグ・ガラタサライSK戦(0-0)でトップチームデビューした。その後は絶対的なレギュラーとなり、1998-99シーズンまで出場試合数が31試合を下回ることはなかった。FCバルセロナでは3度のリーグ優勝、2度のコパ・デル・レイ優勝、2度のスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝、1度のUEFAカップウィナーズカップ優勝、1度のUEFAスーパーカップ優勝を果たした。左サイドバックを務め、主にアルベルト・フェレールとサイドバックのコンビを組んだ。2002年にルイス・ファン・ハール監督が就任すると余剰戦力とみなされ、アトレティコ・マドリードに移籍した。アトレティコではまずまずの3シーズンを過ごし、合計33枚のイエローカードを受けたが、リーグ戦85試合に出場した。2004-05シーズン終了後に現役引退した。 代表FCバルセロナでトップチームデビューを飾ってすぐにスペイン代表に招集され、1994年2月9日にサンタ・クルス・デ・テネリフェで行われたポーランドとの親善試合でデビュー、この試合で代表初ゴールも挙げた[1]。 1994 FIFAワールドカップではグループリーグのボリビア戦、ラウンド16のスイス戦、準々決勝のイタリア戦でそれぞれ1アシストずつ、合計3アシストを決めた[1]。UEFA欧州選手権1996ではグループリーグのブルガリア戦で1アシスト[1]、準々決勝まで進出したがイングランドに延長PKで敗れた。1998 FIFAワールドカップではグループリーグの3試合に出場したが、決勝トーナメントにも進出出来なかった。UEFA欧州選手権2000では1試合に出場した。2002年2月13日のポルトガル戦に出場[1]、この試合が代表での最後の場して出場となり[1]、ワールドカップ日韓大会予選では4試合に出場したが[1]、本大会のメンバー入りはならなかった。通算56キャップを記録した[2] 指導者時代現役引退後はマーケティング分野で働いたり、少年向けサッカーキャンプを開催したりした。2009年7月、FCバルセロナの下部組織のひとつであるフベニールBの監督に就任した[3]。 2012年5月22日、セグンダ・ディビシオン(2部)のレクレアティーボ・ウェルバ監督に就任した。 2017年4月4日、RCDマヨルカの監督に就任した。 2021年6月17日、2年契約でFCバルセロナB監督に就任[5]。同年10月28日、ロナルド・クーマンの解任に伴いFCバルセロナの暫定監督を務めることになった[6]。 所属クラブ選手
指導者
個人成績
代表歴出場大会試合数
タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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