ダラス・ラブフィールド空港
ダラス・ラブフィールド空港(英: Dallas Love Field Airport)は、アメリカ合衆国のテキサス州ダラスにある空港。 この空港は、ダラス・フォートワース国際空港が開港するまではダラスへの玄関口であった。現在は格安航空会社大手サウスウエスト航空の拠点となっている。 歴史
ラブフィールドは1917年に軍用空港として開設された。この年はアメリカが第一次世界大戦に参戦した年で、陸軍は大量のパイロットを必要としていた。養成所となる飛行場は全国各地に計画されたが、ダラスは雨が少なく訓練に適しているため先行して開設された。飛行場の名称は、1913年に事故死した陸軍パイロット Moss L.Love から来ている。しかし、戦争は1918年に終結してしまったため、飛行場は余剰となった。 陸軍は基地の規模を縮小し、最小限の兵員で設備を維持していたが、敷地の一部は農地に転用されたりした。1928年、ダラス市は基地を陸軍から買取り、市営飛行場として使えるよう再整備した。1932年には滑走路が舗装された。第二次世界大戦中は再び陸軍の航空隊が飛行場を使用した。ラブフィールドは1974年にダラス・フォートワース国際空港が開港するまでダラス市の主力空港として機能した。 ケネディ大統領暗殺事件での役割1963年11月22日ジョン・F・ケネディ大統領がエアフォースワンでラブフィールドに到着し、笑顔でターマックに降り立った大統領とピンクのスーツ姿のジャクリーン・ケネディ夫人はバラの花束で歓迎を受けた。しかしその直後自動車パレードで市内のダラストレードマートへ向かう途中空港到着後一時間もしないうちにディーリー・プラザで同大統領は銃撃され、その後パークランド記念病院で死亡が確認された。同大統領の遺骸はエアフォースワンが駐機していたラブフィールドに運ばれ機中に安置された。同機は首都のワシントンD.C.へ向かう予定で、機内では副大統領だったリンドン・ジョンソンが次期大統領として離陸前に大統領就任宣誓を行い、その宣誓には夫を失ったばかりのジャクリーン夫人も立ち会った。同空港に降り立った時と同じピンクのスーツ姿であったが、血にまみれたままの様子は後世まで人々の記憶に強い印象を残した。 就航路線新交通システム当空港では、かつて新交通システムとして懸垂式モノレール「ジェットレール」が1970年(昭和45年)から1974年(昭和49年)まで運行されていた。 関連項目脚注
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