ダン・フォード
ダーネル・グレン・フォード(Darnell Glenn Ford、1952年5月19日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州出身の元プロ野球選手 (MLB) である。1975年から1985年までMLBでプレイした。ニックネームは「ディスコ・ダン(Disco Dan)」。 経歴1970年6月4日、オークランド・アスレチックスからドラフト1巡目(全体18位)で指名を受け、プロ入りを果たした[1]。アスレチックスのマイナーでは、1972年に打率.354・OPS1.105を記録、4年連続で2ケタ本塁打を放つ等の活躍を見せたが、メジャーに昇格出来ないまま、1974年10月23日にミネソタ・ツインズにトレードで放出された[1]。 ツインズ時代1975年4月12日、対カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビューを果たした。デビュー戦ではライトの守備に入ったが、打席に入る機会はなかった[2]。だが、以後はコンスタントに出場機会を得て、メジャー1年目から130試合に出場した。打率.280・15本塁打・59打点・6盗塁という打撃成績を残した。守備面では、センターでの起用がメイン (119試合) であり、同ポジションで3失策・守備率.988という成績を残した。 1976年は、ライトにコンバートしたが9失策・守備率.968という守備成績に終わった。一方で打撃面では、打率こそ低下したものの20本塁打・86打点を記録した。また、17盗塁を決めて俊足を発揮した。 1977年もライトのレギュラーで起用されたが、翌1978年にはセンターに再コンバートされた。シーズンオフの12月4日、トレードでツインズからカリフォルニア・エンゼルスに移籍した[1]。 エンゼルス時代1979年8月10日の対シアトル・マリナーズ戦では二塁打を2本・三塁打と本塁打を1本ずつ放ち、サイクル安打を達成した[3]。レギュラーシーズンでは、いずれも自身初の100得点・100打点を記録し、シーズンオフのMVP投票では26位にランクインした[4]。 1980年は65試合の出場に留まり、メジャーデビュー以来で初めて出場試合数が100未満となった。 1981年も100試合に届かなかったが、2年ぶりの2ケタ本塁打となる15本塁打を放ち、通算100本塁打を達成した。シーズンオフの1982年1月28日、自身3度目となるトレードによりボルチモア・オリオールズに移籍した[1]。 オリオールズ時代1982年はライトのレギュラーで起用され、123試合に出場したが、打率.235・10本塁打と不振に陥った。 1983年は、本塁打が3年ぶりに2ケタに届かなかったが、打率と盗塁で自己2位となる数値 (打率は2位タイ) をマークするなど、一定の成績を見せた。守備面でも比較的安定しており、ライトを守った103試合で3失策・守備率.987という成績だった。同年オリオールズはワールド・シリーズまで駒を進め、フォードは第3戦でホームランを放った。チームはフィラデルフィア・フィリーズを下し、フォードは自身初のチャンピオン・リングを得た。 1984年以降は成績が低下の一途を辿り、1985年を最後にメジャーの舞台から離れた。 詳細情報背番号
年度別打撃成績
獲得タイトル・表彰・記録
出典
外部リンク |