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この項目では、スコットランドのサッカー選手について説明しています。香港の医学者については「盧煜明」をご覧ください。 |
デニス・ロー(Denis Law CBE, 1940年2月24日 - )は、スコットランド出身の元サッカー選手。ポジションはFW(CF)。
人物
スコットランドが世界に誇る名ストライカー。ボビー・チャールトン、ジョージ・ベスト等と共にマンチェスター・ユナイテッドの一時代を築き上げた。オールド・トラッフォードには、この二人と並んでローの像が建てられている。スコットランド代表としては55試合に出場して30ゴールを挙げた[2]。この30ゴールという数字はケニー・ダルグリッシュと並んで同国最多得点記録である。
奔放な行動や激しい闘争心、その得点力と容姿から相手チームからは『金髪の悪魔』と恐れられ、ファンからは『キング』と呼ばれた。
高い得点力を持ち、『ジャックナイフ』と称される鋭いヘディングシュートの他、ロングシュートやアクロバティックなシュートも得意でボビー・チャールトン以上の人気を誇り、彼にあやかりたいと子供に「デニス」と名付ける親が続出、デニス・ベルカンプもローの名から来ている[1][3]。
経歴
1955年15歳でハダースフィールド・タウンと契約、翌年トップチームに出場。1958年10月18日にはウェールズ戦で代表デビューを果たす。1960年マンチェスター・シティへ移籍、ここでの活躍が認められ、1961年、当時イングランドの移籍金最高額でイタリア・トリノへ移籍。しかし思うような結果が出せず1シーズンでイングランド・フットボールリーグへ復帰し、1962年マンチェスター・ユナイテッドへ移籍、マンチェスターの両クラブでプレーした初の選手となった[4]。
1964年にはスコットランド人初のバロンドールを受賞、1964-65、1966-67シーズンにはリーグ優勝に貢献。FAカップも2度獲得し、彼が決めた40ゴールはイアン・ラッシュが塗り替えるまで同大会での最多得点記録だった[2]。1967-1968にマンチェスター・ユナイテッドはUEFAチャンピオンズリーグでも優勝したが、怪我により入院していたローは決勝のピッチに立つことが出来なかった[2]。しかし後日、監督であるマット・バスビーはビッグイヤーを持ってローの病室を訪れた[2]。マンチェスター・ユナイテッドでは通算404試合に出場237ゴールを挙げた[2]。
1973年古巣マンチェスター・シティへ移籍、ここで1シーズンを過ごし、1974年34歳で現役を引退した。ローが決めた現役最後のゴールは、マンチェスター・ユナイテッドの2部リーグ降格を決めるものだった[2]。
2002年には、イングランドサッカー殿堂に選ばれている。
所属クラブ
出典