ドイツ党 (ドイツ語 : Deutsche Partei )は、ドイツ の政党 で地方政党 のひとつ。ニーダーザクセン州 を基盤としており、そのためニーダーザクセン党 (Niedersächsische Landespartei)と呼ばれることもあった。ただし、1949年 から1961年 までドイツ連邦議会 の議席を占めており、アデナウアー 政権下において連立与党 の一角を占めたこともあった。
概略
1945年 、ニーダーザクセン民族党(Niedersächsische Landespartei, NLP)が、1871年 のドイツ帝国 の誕生から1933年 のナチ党の政権奪取までの期間に活動した地域主義ドイツ=ハノーファー党 を再創造するものとして結成された。[ 注釈 3]
1946年 5月23日 、ハインリヒ・ヘルヴェーゲが正式にNLPの議長に選出された[ 1] 。 NLPは主に連邦 制のドイツにおける、ニーダーザクセン州の設立を目指し、プロテスタント 保守主義 を代表する政党であった[ 2] 。
1947年 にニーダーザクセン州が成立した翌年には、ドイツ党と改名しドイツ国家人民党 に所属していた保守派と合併して保守政党 として再編された[ 3] 。すぐにハインリヒ・ヘルヴェーゲ議長の下、近隣の州に拡大し、1947年の最初のニーダーザクセン州議会選挙で27議席(全体の18.1%)を獲得した[ 4] 。1948年 、1949年 の憲法会議(Parlamentarischer Rat)に参席すべくボン に代表者2人を送り込んだ。ドイツ党はニーダーザクセン州経済評議会で市場経済を支持する政党のひとつであり、1949年から1956年 にかけてのボンでの「ブルジョア連合」の基礎を築いた。
1949年のドイツ連邦議会選挙 では、国民投票 の4%を獲得し、18議席を獲得した。その結果、コンラート・アデナウアー 政権において、キリスト教民主同盟 (CDU)、キリスト教社会同盟 (CSU)、自由民主党 (FDP)と連立を組むことになった。1953年のドイツ連邦議会選挙 ではドイツ党の得票率は3.3%、15議席に減少したが、連立政権の座を維持し、1957年のドイツ連邦議会選挙 でもドイツ党は17議席、得票率3.4%を獲得した。1956年 にはFDPを離党したフランツ・ブリューヒャー、フリッツ・ノイマイヤーらが自由民衆党(FVP)を短期間結成したが、翌年FVPはドイツ党に合併したため、1953年のドイツ連邦議会選挙のドイツ党の票をわずかに増加させたと考えられる[ 5] 。これらの政権におけるドイツ党の大臣は、ハインリッヒ・ヘルヴェーゲ(1949-1955)、ハンス・ヨアヒム・フォン・メルカッツ(1955-1960)、ハンス・クリストフ・ゼーボーム(1949-1960)であった。1955年 、ヘルヴェーゲは連邦政府の職を辞し、ニーダーザクセン州の大臣に就任した。
1949年 には幹部のヴォルフガング・ヘートラー 議員は北ドイツのノイミュンター において「ドイツ人に罪はなく、野党のドイツ社会民主党 党首クルト・シューマッハー の反ナチスの抵抗活動は反逆である」旨の発言(ヘートラー事件 )をするなど、右派 的な色彩も持つ政党であった。連邦議会選挙においてはドイツキリスト教民主同盟 と選挙協力し、5%条項 を突破することはなかったが小選挙区 で当選者を出すことで、議員を送り込んでいた[ 6] 。
ドイツ党は計画経済、土地改革などに反対し、1950年 代には「ニーダーザクセンの中産階級の政党」として特徴付けられ、州権、君主主義、そして一部は、民族主義の立場を強調した[ 7] 。
しかし1960年 に党は分裂、所属する連邦議会議員の半数がキリスト教民主同盟に移籍することで同党と決裂し、1961年 に連邦議会から議席を失った。その後は右傾化が増し、メンバーの一部はドイツ共和党 に流れたほか、現在メンバーの一部は極右 政党国家民主党 を支援している。
脚注
注釈
出典
^ For details see Rode, Norbert (1981). “Zur Entstehungsgeschichte der Niedersächsischen Landespartei/Deutsche Partei (NLP/DP)”. Niedersächsisches Jahrbuch für Landesgeschichte 53 : 292. ISSN 0078-0561 .
^ Klein, Michael (2005). Westdeutscher Protestantismus und politische Parteien. Anti-Parteien-Mentalität und parteipollitisches Engagement von 1945 bis 1963 . Tübingen: Mohr Siebeck. pp. 292–297. https://books.google.co.jp/books?id=pr6bSIzJ7wYC&pg=PA292
^ D. Childs, 'The Far-Right in Germany since 1945', L. Cheles, R. Ferguson & M. Vaughan, Neo-Fascism in Europe, Harlow: Longman, 1992, p. 70
^ Gerhard A. Ritter and Merith Niehuss, Wahlen in Deutschland 1946-1991. Ein Handbuch . Munich: C. H. Beck, 1991, p. 147.
^ Frank Wende: Lexikon zur Geschichte der Parteien in Europa. Stuttgart: Alfred Kröner Verlag, 1981, pp. 104-5.
^ 連邦議会選挙で採用されている小選挙区比例代表併用制 においては5%条項以外にも「最低3名の小選挙区での当選」という条件があり、これを満たした場合は比例代表 の議席も配分される。
^ Horst W. Schmollinger: Die Deutsche Partei , in: Richard Stöss (ed.): Parteien-Handbuch. Die Parteien in der Bundesrepublik Deutschland 1945-1980 , 2nd ed., Opladen: Westdeutscher Verlag, 1986), vol. 2, pp. 1071–1073, quotes on p. 1073.
関連項目
外部リンク