ドミトリ・ブリキン
ドミトリ・オレゴヴィッチ・ブリキン(Дмитрий Олегович Булыкин, 1979年11月20日 - )は、ロシア・モスクワ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 経歴クラブ1986年、FCロコモティフ・モスクワのアカデミーでサッカーを始める。その後、PFC CSKAモスクワなどのアカデミーを経て、1997年にロコモティフ・モスクワへ復帰し、プロデビューを飾る。1999年からレギュラーに定着し、2度のロシア・カップ制覇に貢献した。 2001年からFCディナモ・モスクワへ移籍。FWでありながら、ゴールを量産するタイプではなかったため、2桁得点は最初のシーズンのみであったが、チームの低迷もあり、監督交代が相次いながらも、ディナモ・モスクワの中心選手として4年間活躍[要出典]し、その間にA代表からも招集されるようになる。しかし、2005年に入ってから、ロシア農業界の大富豪アレクセイ・フェドリチェフがチームを買収し、大型補強の煽りを受け、出場機会が減少していった。その間にアンドレイ・コベレフ監督との確執が囁かれ[要出典]、ついにディナモ・モスクワを離れることを決意する。 2007年8月28日、ドイツのバイエル・レバークーゼンと1年契約を結ぶ。リーグ戦ではあまりパッとしなかったが、欧州カップ戦では、同年12月19日のFCチューリッヒ戦(UEFAカップ 2007-08)で2得点を挙げる活躍を見せた。 その後は、RSCアンデルレヒト、フォルトゥナ・デュッセルドルフでは鳴かず飛ばずだったが、2010-11シーズンに所属したADOデン・ハーグではこのシーズン前までは2桁得点がわずか1回だけだったブリキンだったが、ここにきて突如として覚醒。ADOもリーグ戦8位と大躍進し、レギュラーシーズン終了後に5〜8位間で行われるプレーオフで見事勝ち抜き、UEFAヨーロッパリーグ 2011-12出場権を獲得した。ブリキンもリーグ2位の21得点を挙げた。 一度レンタル終了に伴い、保有権を持つアンデルレヒトに復帰したが、2011年8月31日、移籍期間ギリギリでアヤックス・アムステルダムへ移籍。同じ新加入組のアイスランド期待の若手コルベイン・シグソールソンとポジションを争うことになる。 2012年7月、アヤックス退団後、ルーク・デ・ヨングの後釜を探していたFCトゥウェンテに1年契約でフリーで移籍[2]。 代表2003年9月9日のEURO2004予選・アイルランド戦でA代表デビュー。次節のスイス戦ではA代表初得点を含むハットトリックを挙げ、チームの勝利に貢献した。その後は主力に定着し、EURO2004のエントリーメンバーに選出。チームはグループリーグで敗退してしまったものの、消化試合であったギリシャ戦ではゴールを挙げ、3戦全敗の危機を救った。しかし、2004年10月13日に行われた2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・ポルトガル戦(1-7でロシアの敗戦)を最後に歴史的惨敗の戦犯の一人として扱われ[要出典]、この試合を最後に招集されなくなった。 個人成績
代表での得点
獲得タイトルクラブ
脚注
外部リンク |