ナン・チョーンシー
ナン・チョーンシー(Nan Chauncy、1900年5月28日 - 1970年5月1日)は、イギリス生まれのオーストラリアの児童文学作家。 生い立ちチョーンシーは、ナンセン・ベリル・マスターマン (Nancen Beryl Masterman) として、イングランド南東部、ロンドン西郊に位置する当時のミドルセックス州ノースウッド(英語版)(現在のヒリンドン・ロンドン特別区の一部)に生まれた。技師であった父が、オーストラリア・タスマニア州の州都ホバートの市当局から職を提示されたのを機に、一家は1912年にタスマニアに移住した。ホバートで彼女は、女子校であるセント・マイケルズ・コリージェット・スクール (St Michael's Collegiate School) に学んだ。1914年、一家はタスマニア州内の農村部に移り、バグダッド (Bagdad) でリンゴ栽培に従事した。バグダッド周辺には、森が多く、ブッシュレンジャー (bushranger) と呼ばれた盗賊たちが潜む洞窟などもあり、後の著作や、終生続いたガールスカウト運動(イギリスやオーストラリアでは「ガールガイド (Girl Guide)」の語が用いられる:Girl Guides Australia)への関わりに、様々な示唆を与えることになった。当初、ナンは、バグダッドにあった兄の所有地でガールガイドの集会やキャンプを開催していたが、1925年からクレアモント (Claremont) にあるキャドバリーのチョコレート工場 (Cadbury's Chocolate Factory, Tasmania) で、女性従業員の厚生係として働くようになると、クレアモントで自らが主催する団を組織するようになった[1]。 ヨーロッパ旅行1930年にイングランドに戻ったナンは、ハンプシャー州リンドハースト (Lyndhurst) にある、ガールガイド運動の研修施設フォックスリース (Foxlease) で訓練を受けた。さらに、テムズ川に浮かぶハウスボートに住みながら、著述について学び、また、実践を重ねた。1934年には、スウェーデン、フィンランド、ソビエト連邦を旅行し、デンマークでは、当地のガールガイド学校で冬学期の英語の授業を担当した[1]。 1938年、ナンは、オーストラリアへ帰国する船上でドイツからの亡命者であったヘルムート・アントン・ローゼンフェルト (Helmut Anton Rosenfeld) と出会い、同年9月13日にビクトリア州ララ (Lara) で結婚した。2人はバグダッドに住んだが、第二次世界大戦が勃発すると、反独感情の高まりに影響されることを避けるために、(ナンの母方の祖母の姓をとって)チョーンシーと改姓した[1]。 死と遺産チョーンシーは、1970年5月1日にがんのため、69歳で亡くなった。遺された夫と娘は、「チョーンシー・ヴェイル (Chauncy Vale)」と称された一家の所有地を、自然保護区とするものとして地元の行政当局 (Southern Midlands Council) に寄付した[1]。 著作日本語文献に言及があるもののみ邦題をつけた[2]。
チョーンシーの作品は、いずれもタスマニアが舞台になっている[2]。 チョーンシーの存命中に出版された小説は14作品あり、そのうち、最初の12作品はオックスフォード大学出版局から出版された。 映像化チョーンシーの小説のうち、2作品は映像作品の原作となった。小説処女作『They Found A Cave』は、1962年にチャールズ・ウォルニザー (Charles Wolnizer) 監督により、キャスト全員にタスマニア人を起用して映画化された。当時、オーストラリアの映画界は低調な時期であったが、この作品はヴェネツィア国際映画祭で児童映画賞を獲得した[3]。 1988年、オーストラリア児童テレビ基金 (Australian Children's Television Foundation) とオーストラリア放送協会 (ABC) は、オーストラリア200周年を祝ってオーストラリアの各州・準州にちなむテレビ用映画のシリーズ『Touch the Sun』を制作した。このうちタスマニア州にちなんで制作された『Devil's Hill』は、チョーンシーの小説を映像化したものであった。 受賞と栄誉チョーンシーは、オーストラリア児童書評議会 (The Children's Book Council of Australia) が年間最高の児童書を選出する the Children's Book of the Year に、1958年の『Tiger in the Bush』[4]、1959年の『Devil's Hill』、1961年の『Tangara』と、合わせて3回選ばれている。これに次ぐ特別推薦書 (Highly Commended) にも、1964年の『The Roaring 40''』が選ばれ、1965年の『High and Haunted Island』と1968年の『Mathinna's People』も推薦書 (Commended) になっている[5]。 チョーンシーは、オーストラリア人としては初めて、国際アンデルセン賞から表彰された[3]。ただしこれは、国際アンデルセン賞の作家賞ではなく、各国別に優れた作品を表彰する別の制度による表彰である[6]。チョーンシーは、1962年に『Tangara』でこの表彰を受けたが、これはイギリスの作家として推挙されたものであり、オーストラリアから国別に同じ表彰の対象者が選ばれるようになった1970年より前のことであった[7]。 オーストラリア児童書評議会は、ナン・チョーンシー賞 (Nan Chauncy Award) を設け、オーストラリアの児童文学分野における顕著な功績を顕彰している。この賞は、1983年から1998年までは5年に1度、以降は2年に1度、授与されている[8]。 出典・脚注
関連文献
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