ハラダサン
ハラダサン (Haradasun) とはオーストラリアで生産された競走馬、種牡馬である。オーストラリアとイギリスでG1競走を3勝。2006年にオーストラリア調教馬として史上最高額となる2250万オーストラリア・ドルで所有権の半分を買い取られ、アイルランドに移籍した[1]。半兄にオーストラリア・アラブ首長国連邦でG1競走を4勝したエルヴストロームがいる[1]。 馬名は世界フライ級・バンタム級の2階級を制覇[注 1]した日本人ボクサー・ファイティング原田に由来し[1]、「原田さん」をそのまま英語表記にしたもの。 経歴オーストラリア時代※馬齢は南半球表記とする。 2006年 / 2007年(2歳、3歳)6月に競走馬デビュー戦を迎え、ナッシュ・ローウィラーの騎乗により勝利を挙げた。3歳となり初めて出走したレースにも勝利し、重賞競走初挑戦となるマクニールステークス (G3) に出走してミスフィンランドに敗れての2着となった。 2007年は緒戦から準重賞競走を2連勝し、シュヴェッパーベスセンスカップ (G3) で3着、G1競走初挑戦となったオーストラリアンギニーでは4着となるなど重賞戦線ではあと一歩という成績だった。次のジョージライダーステークスではグレン・ボスが騎乗し、G1競走初勝利を挙げた。さらに続くドンカスターハンデキャップも制し G1競走を2連勝したが、ふたたびローウィラーを鞍上に迎えて出走したクイーンエリザベスステークスでは2着だった。 その後ハラダサンは一時休養に入ったが、この間にアイルランドに本拠を置くクールモアグループがその所有権の50パーセントを取得。対価として支払われた2250万オーストラリア・ドルは、オーストラリアの現役競走馬に支払われたものとしては史上最高額となった[1]。 2007年(4歳)復帰戦は8月のブレッチングリーステークス (G3) で、ダミアン・オリヴァーが騎乗して2着、続くメムジーステークス (G2) でも2着、ダレン・ビードマンが騎乗したダットタンチンナムステークス (G2) も2着となり、2着が続いた。そしてふたたびダミアン・オリヴァーが騎乗して挑んだターンブルステークス は3着、続くコックスプレートも3着となり安定した走りを見せたが、11月のマッキノンステークスでは13着というデビュー以来初の2桁着順という結果に終わった。競走後、脚部不安を生じて休養に入る。その後クールモアの主戦厩舎であるエイダン・オブライエンのもとへ移籍が決まり[1]、休養中にアイルランドへと輸送され転厩した。 アイルランド時代※馬齢は北半球表記とする。 2008年(5歳)約半年ぶりの実戦となった転厩初戦は5月のロッキンジステークスで、ジョニー・ムルタが騎乗して挑んだが6着、続くロイヤルアスコット開催のクイーンアンステークスではフィンシャルベオやダルジナといった強豪馬を相手に戦い、ダルジナをアタマ差退け、転厩後初勝利をG1競走で飾った。レース後にこれを最後として競走馬を引退することが発表された。 引退後はクールモア・オーストラリアで種牡馬となり、北半球へシャトルされることも決定している。 年度別競走成績
血統表
血統背景父フサイチペガサスはケンタッキーダービー馬である。詳しくは同馬の項を参照。母サークルオブゴールドは1994年のオーストラリアンオークスに優勝している。兄にアンダーウッドステークスやコーフィールドカップ、ドバイデューティーフリーで優勝したエルヴストローム(Elvstroam、父デインヒル)がいる。 脚注注釈
出典外部リンク
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