ハリド・ブラールズ
ハリド・ブラールズ(Khalid Boulahrouz、1981年12月28日 - )は、オランダ・南ホラント州マースライス出身の元サッカー選手。同国代表でもあった。現役時代のポジションはDF。 名前の表記はブーラルーズやボウラロウズなども存在する。オランダでの発音はブラルーズがより近い。モロッコ移民の血を引くオランダ代表DF。実家は9人兄弟。 来歴クラブユース時代から地元のエクセルシオール・マースライス、アヤックス、HFCハールレム、AZアルクマールと渡り歩き、2002年にRKCヴァールヴァイクでプロとしてのキャリアをスタート。当時の監督だったマルティン・ヨルに見出されすぐにポジションを獲得した。その一方で国外はおろか国内での知名度も低かったが、2004-05シーズン前に転機が訪れた。2004年7月1日DF補強が急務であったドイツのハンブルガーSVが彼を獲得したのである。この獲得には不安も囁かれたがブンデスリーガの環境に応し、2004年9月3日には念願の代表デビューを果たした。2005-06シーズンはダニエル・ファン・ブイテンとのCBコンビでHSVの上位進出に貢献。ブラールズのハード・マーク、フィジカルを生かしたファン・ブイデンとの名コンビで、得点は少ないものの失点を最小限に抑えた。 2006年からはイングランドのチェルシーFCでプレー。しかし、プレミアリーグのサッカーに順応しきれずさらに故障もあってベンチ暮らしが続いた。そして、2007年5月6日のアーセナルFC戦で自身の判断ミスからPKを献上し一発退場。その試合は結局1-1のドローに終わり、結果的にマンチェスター・ユナイテッドFCの優勝をアシストする形になった。 2007年7月12日にスペインのセビージャFCにレンタル移籍で加入していたが、6試合の出場にとどまった。レンタル期間が満了した後の2008年7月21日に移籍金500万ユーロでVfBシュトゥットガルトへ移籍し、3シーズンぶりのブンデスリーガ復帰を果たした。 2011-12シーズンをもってシュトゥットガルトとの契約が満了。2012年7月18日、ポルトガルのスポルティングCPへフリーで移籍した[1]。 代表先述の通り2004年9月3日の親善試合・リヒテンシュタイン戦でデビュー。マルコ・ファン・バステンに重用され2006 FIFAワールドカップ予選には7試合に出場し、本大会でもメンバー入り。退場者が両チームあわせて4人も発生したベスト16のポルトガル戦では開始早々クリスティアーノ・ロナウドの右太腿にタックルしてイエロー(彼はその後負傷退場)そして後半にルイス・フィーゴに肘うちを喰らわせ、退場した。 EURO2008では一度選考から漏れたものの、ライアン・バベルの負傷により追加招集を受ける。本大会では右サイドバックとして全4試合に出場した。 エピソード
代表歴出場大会試合数
脚注
外部リンク
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