ヨン・ハイティンハ
ヨン・ハイスベルト・アラン・ハイティンハ(John Gijsbert Alan Heitinga, 1983年11月15日 - )は、オランダ・南ホラント州アルフェン・アーン・デン・ライン出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 表記についてメディアによってはジョン・ハイティンハ[1] あるいはヨン・ハイティンガ[2]、ヨン・ヘイティンガとも表記・呼称される。本来の発音はnとgが別に発音されるため、ハイティンガとはならず、ハイティンハに近い。ファーストネームのJohnはオランダでも英語読みされるため、ジョン/ジョニーとなる。 来歴クラブ
アヤックス・アムステルダムのユース出身。2001年夏、17歳の時にフェイエノールト戦でデビュー。一年目から15試合に出場するが、翌2002-03シーズンは二度に渡り選手生命に関わる大怪我を負った影響で1試合のみの出場にとどまった。 2003-04シーズンに復帰後はチームの不動のセンターバックとしてリーグ戦26試合に出場し3ゴールを挙げ、チームのリーグ優勝に貢献。ラファエル・ファン・デル・ファールトやヴェスレイ・スナイデル、ヘドヴィヘス・マドゥロらと共にチームの中心へと成長した。その一方で、アヤックスはリーグ優勝から遠ざかった。2007-08シーズン開幕前にスナイデルがレアル・マドリードに移籍、10月にはヤープ・スタムが引退、さらにマドゥロが冬にバレンシアCFに移籍。ハイティンハは残留して優勝を目指すがリーグ2位に終わり、ついに17年間所属したクラブを去る決意をする。
2008年8月1日、5年契約・移籍金1000万ユーロでスペインのアトレティコ・マドリードへ移籍[3]。3月22日に行われたリーグ戦第28節のRCDマジョルカ戦にて、前半終了間際にフリーキックのボールを競った際に相手DFのダビド・ナバーロと頭部を接触したことで意識不明になってピッチに倒れた。すぐさま近隣の病院へ救急搬送されたものの幸い軽傷で事なきを得た[4]。この2008-09シーズンはリーグ戦27試合、公式戦では通算32試合に出場し、3得点を挙げた。
2009年8月30日、5年契約・移籍金約500万ポンドでイングランドのエヴァートンFCへ移籍[5]。マンチェスター・シティFCに移籍したジョリオン・レスコットの代役として期待され、9月13日のフラムFC戦でプレミア・リーグ初出場。
2014年1月31日、出場機会を求めてフラムFCに半年契約で移籍した[6]。
2015年6月25日、同日付でヘルタ・ベルリンとの契約を解除し、古巣のアヤックス・アムステルダムへ復帰した。契約期間は2016年6月までの1年契約(契約延長オプション付)[8]。 しかし2015-2016シーズンは負傷も相まって出場機会に恵まれず、2016年2月1日、現役引退を発表した。 代表年代別のオランダ代表を経験し、2001 FIFAワールドユース選手権ではU-20オランダ代表のキャプテンを務めた。 2004年2月18日のアメリカ代表戦でフル代表デビュー。EURO2004のメンバーにも選ばれ、3試合に出場した。マルコ・ファン・バステン監督の下で2006 FIFAワールドカップに出場しベスト16を経験。UEFA EURO 2008ではチーム事情に応じて複数のポジションでプレーしユーティリティ性を発揮した。 2010 FIFAワールドカップではスペイン代表との決勝までの全試合に出場したが、決勝戦では延長後半5分にアンドレス・イニエスタへのファウルで二枚目のイエローカードをもらい退場。その6分後にイニエスタに決勝ゴールを決められ、チームは準優勝に終わった。 指導歴現役引退後すぐに古巣アヤックスのアヤックス・アカデミーで指導者として働き始め、各世代の監督を経験した後に2021年5月から2023年1月までヨング・アヤックスの監督を務めた[9]。 2023年1月27日、成績不振によって解任されたアルフレト・スフリューデルの後任としてアヤックスの監督に招聘された[9]。しかし、途中就任ということもあり、チームを立て直すことはできず、5シーズンぶりの無冠に加えてUEFAチャンピオンズリーグ出場権も逃したことで2022-23シーズン終了後に退任した[10]。 所属クラブ
代表歴出場大会試合数
タイトル
脚注
外部リンク
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