前述の経緯でHelloweenにバンド名が確定し、1984年にノイズ・レコードのコンピレーションアルバム『Death Metal』に『Oernst Of Life』・『Metal Invaders』の2曲で参加。このアルバムには、同じハンブルクのバンドで、当時ハロウィンよりビッグと見なされていた[2]ランニング・ワイルドも参加していた。同年、ノイズ・レコードと正式に契約。
1985年2月、ミニ・アルバム『Helloween』でデビュー。ランニング・ワイルド等の地元バンドとの競争が激しかったハンブルクに、バンドの存在を知らしめた。同年12月に発売された初のフルレンス・アルバム、『Walls Of Jericho』は、ドイツ国内での総売上は約11万枚を超え、スコーピオンズと並ぶヒットとなった[2]。国内のみならず、海外の各音楽雑誌等にも取り上げられ、スピード・メタルとして高い評価を得る。だが、ヴァイカートはメロディアスさに欠けるスピード・メタルというジャンルに、自分達の音楽性を当てはめられることを不満に感じていた[2]。1986年9月リリースのシングル『Judas』を最後に4人編成時代は終了する。
当時はバンドのマスコットキャラクターとして、「Fang Face」というマントを纏った醜悪な顔をした男を、ジャケットイラストやライヴで登場させていた。その後、ヴァイカートがこのFang Faceのことを、アイアン・メイデンの真似をしている(デザインがアイアン・メイデンのマスコットキャラであるエディと酷似している)という理由で嫌いになったため、『Walls Of Jericho』のジャケットイラスト以降は使用していない[2]。代わりにカボチャ(ジャック・オー・ランタン)をモチーフにしたキャラクターが『Judas』以降現れることになり、こちらは現在まで多くのジャケットやライヴに登場している。
キスクの加入により、よりポップなエッセンスも注入されることとなる。ヴァイカートの作曲する美しいメロディに乗せて、キスクの声量豊かな突き抜けるハイトーン・ボーカルがこだまする、『Eagle Fly Free』に見られるような、カイとヴァイカートのツインリードによる流麗で重厚なギター・ソロ、ツーバス・ドラムによる疾走感のある曲を特徴とするが、ヘヴィな曲や『Dr. Stein』等コミカルな曲もある。中でも1987年の2nd『Keeper Of The Seven Keys Part1』(邦題:守護神伝-第一章-)、翌1988年の3rd『Keeper Of The Seven Keys Part2』(邦題:守護神伝-第二章-)の2枚のアルバムは世界中で大ヒットし、ジャーマンメタルバンドとしてのハロウィンの名を広めた。この人気に呼応する形で海外ツアーも積極的にこなし、来日ツアーも行っている。この2枚のアルバムは当初は1枚のアルバムに収録されるはずだったものが、予算やその他の関係により、2枚に分割されて発売されたものである。
そういった不安定な状況の中でメンバー間での仲にも徐々に捻れが生じ始め、さらにはカイ・ハンセンが健康上の問題を抱えるようになり、1989年1月1日にハンセンが脱退する。後任にローランド・グラポウを迎え、レコード会社をノイズ・レコードからEMIに移籍(マネージメント会社もアイアン・メイデンが所属しているサンクチュアリに変更)して作成した4thアルバム『Pink Bubbles Go Ape』だが、1991年3月のリリース直前に前所属レコード会社のノイズ・レコードから裁判を起こされ、イギリス以外では発売中止となり、バンド活動も禁止となる。1年後の1992年には無事裁判の決着がつき、イギリス以外でもアルバムがリリースされ、バンド活動も行えるようになった。しかしハンセンが脱退したことでキスクのバンド内の発言力が大きくなり、ポップ・メタル路線が強調された『Pink Bubbles Go Ape』、1993年には『Keeper〜』からかけ離れた音楽性を持ったアルバム『Chameleon』を発表。この当時のBURRN!誌でのインタビューでは、キスク、ヴァイカートが誌面に登場することが多かったが、ハンセンを「勝手にバンドを去った」「俺たちを置き去りにした」と不仲を強調する発言が見受けられた。
1994年、元ガンマ・レイのドラマー、ウリ・カッシュとピンク・クリーム69のボーカリストだった、アンディ・デリスが加入[3]。デリスはハンセンの様なワイルドかつスクリームな歌声、キスクの様な美しい穏やかな歌声、両方をこなせる歌唱力を持ち、自身作曲のポップセンスあふれる楽曲はヴァイカートたちと並んでバンドの柱となる。同時にバンドの音楽性も『Keeper〜』路線のパワーメタルに回帰、人気が低迷していたバンドは同年発表の『Master Of The Rings』で「復活」を果たす。
同路線の作品『The Time Of The Oath』(1996年)も好評、バンドの基本的なアイデンティティーを保ちながら、よりヘヴィなスタイルに挑戦した『Better Than Raw』(1998年)も、好セールスを記録する。
ドラマーはマーク・クロスの加入が発表されたものの、EBV感染による重病を患い『Rabbit Don't Come Easy』のレコーディングに参加できずそのまま脱退し、ミッキー・ディー(モーターヘッド)がサポート参加したのち、レコーディング後に元ランニング・ワイルド、U.D.O.のステファン・シュヴァルツマンが加入する。前作から引き続きプロデューサーにチャーリー・バウワファイントを起用し、またハロウィンとしての本来のアイデンティティーを取り戻す事をコンセプトに2003年に『Rabbit Don't Come Easy』を発表する。また、チャーリーは以後もハロウィンのプロデューサーとして関わっていくことになる。
2004年にシュヴァルツマンがハロウィンの音楽性と自身のプレイスタイルの違いを理由に脱退し、後任にダニ・ルブレを迎えて制作された2005年発表の『Keeper Of The Seven Keys - The Legacy』(邦題:守護神伝-新章-)はベストメンバーによる集大成といった趣で、キャッチーでメロディアスな疾走曲や10分を超える大作、バラードなど盛り沢山な内容となっている。
2007年5月11日よりニューアルバム『Gambling With The Devil』のレコーディングをアンディ・デリスの"Mi Sueno Studios"で開始し、10月24日に発売。このアルバムからの先行シングル『As Long As I Fall』は9月27日に発売された。
また、同年11月から始まる、同アルバムをプロモートするための世界ツアーは、『Hellish Rock 2007/2008 HELLOWEEN VERY SPECIAL GUEST:GAMMA RAY』と題され、同時期に新アルバム『Land Of The Free - II』をリリース予定で、初期メンバーのカイ・ハンセンが率いるガンマ・レイとのカップリングツアーとなり、歴史的ツアーとして注目された。日本には2008年2月8日の福岡公演を皮切りに、広島や東京など6公演が行われた。また、ハードロック/ヘヴィメタル専門雑誌BURRN!11月号の表紙にもアンディとハンセンが取り上げられ、巻頭特集で2人へのインタビューが組まれた。
同年11月には、翌年秋からスタートの『Pumpkins United Tour』と題されたワールドツアーにて、以前『Hellish Rock』で再共演したカイ・ハンセンの他にマイケル・キスクの客演が決定し、キスクは1993年の脱退以来、24年ぶりにハロウィンのオリジナルメンバーであるヴァイカートとグロスコフとの再共演に、現ラインナップメンバーであるデリスとゲルストナー、ルブレとの初共演の実現が発表された。
12th「Gambling with the Devil」以後、バンド専用のコンピューターサーバーにてメンバー間でアイデアを共有しながら楽曲を組み立てていくスタイルをとっており、カイ・ハンセンとマイケル・キスクが再び合流した2021年発表「スカイフォール」以後も同様の方法で楽曲制作を行っている。
また、楽曲クレジットについては最初にその曲のアイデアを持ち込んだメンバーを表記し、基本的にメンバー全員でアイデアを持ち寄りながらひとつの曲を完成させているとのこと。
ミニアルバム「Helloween」、1st「Walls Of Jericho」、4th「Pink Bubbles Go Ape」を除く[7]2nd「守護神伝 -第一章-」から8th「Better Than Raw」まではトミー・ハンセンがプロデュースに携わり、9thの「The Dark Ride」以後はチャーリー・バウアーファイントのプロデュースの下で楽曲制作を行なっている(「The Dark Ride」はロイ・Zとの共同プロデュース)。
また、2021年発表の「HELLOWEEN」では元ピンク・クリーム69のメンバーであるデニス・ワードがセカンド・プロデュースに携わっている。