フェリックス・ド・ウェルドンフェリックス・ド・ウェルドン(Felix Weihs de Weldon、1907年4月12日 - 2003年6月3日)は、オーストリア出身のアメリカ合衆国の彫刻家である。代表作にアーリントン国立墓地にある海兵隊戦争記念碑(1954年)やクアラルンプールの国家記念碑(1966年)がある。 生涯ド・ウェルドンは1907年4月12日にオーストリア=ハンガリー帝国のウィーンで繊維業者の家に生まれた[1]。1925年にマルケッティ・カレッジで学士号を取得した[2][3]。ウィーン大学創造芸術アカデミーと建築学部で1927年に修士号、1929年に博士号を取得した。 17歳の時にオーストリアの教育者・外交官のルード・ハルトマンの像を制作したことで、彫刻家として初めて注目を受けた[2]。1920年代には、フランス、イタリア、スペインの芸術家のコミュニティに参加した。その後、ロンドンに移り住み、国王ジョージ5世の肖像など、彫刻の注文を多く受けるようになった。 カナダのマッケンジー・キング首相の彫刻を制作するためにカナダを訪問したことがきっかけで、ド・ウェルドンはカナダに移り住み、1937年にアメリカ合衆国に移住した。第二次世界大戦中にアメリカ海軍に従軍画家として入隊し、第2級従軍画家として除隊した[3]。1945年にアメリカ合衆国の市民権を獲得した[2]。 1950年、ハリー・S・トルーマンによりアメリカ合衆国美術委員会委員に任命された[4]。1956年にドワイト・アイゼンハワー大統領によって、1961年にジョン・F・ケネディ大統領によって再任された。1959年、イギリス王室への貢献により名誉爵位を授与された。ワシントン芸術クラブの会員でもあった。 1951年、ロードアイランド州ニューポートの歴史ある邸宅を購入してそこに住んでいたが、1996年、資産の大半を失い、邸宅も手放した。 2003年6月3日、ワシントンD.C.において96歳で死去し、アーリントン国立墓地に埋葬された。息子で俳優・映画監督のダニエル・デウェルドンは、父の生涯を描いた伝記映画を制作した。 作品約1,200点のド・ウェルドンの作品が、世界7か国に設置されている。南極大陸のマクマード湾には探検家リチャード・バードの像がある。日本には、ニューポート出身のマシュー・ペリーの像が東京都港区芝公園にある[5]。 終戦後の1945年、アメリカ合衆国議会はド・ウェルドンに、ジョー・ローゼンタールが同年2月23日に撮影した有名な写真『硫黄島の星条旗』を元にした銅像の制作を依頼した。写真に写っている6人の内、存命の3人についてはその本人をモデルにして(ただし、そのうち2人は写真に写っているのとは別人であったことが2010年代に判明した)、硫黄島で戦死した3人については残された写真を元にして像を制作した。像の制作には9年かかり、1954年11月10日、完成した重さ100トンの像『海兵隊戦争記念碑』はアーリントン国立墓地に設置された。 1960年10月、マレーシア初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマンが訪米中に海兵隊戦争記念碑を見て、ド・ウェルドンに直接会ってマレーシア独立の英雄の像の制作を依頼した。制作された像『国家記念碑』は、自立型の銅像としては世界最大である。マレーシア政府はド・ウェルドンにタン・スリの爵位を授与した。 ギャラリー
公共の場所にある作品以下に掲げるのは、公共の場所に設置されているド・ウェルドンの作品の一部である。
脚注
参考文献
外部リンク
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