マン島領主 [ 1] [ 2] (マンとうりょうしゅ、英 : Lord of Mann 、マン島語 : Çhiarn Vannin )は、イギリスの王室属領 であるマン島 の領主 (lord proprietor ) であり[ 3] [ 4] 元首 である。2022年以降のマン島領主は、イギリス国王チャールズ3世 である。1504年以前はマン島王 (英語版 ) (King of Mann ) であった。
イギリス国王との関係
1970年にマン島で発行された硬貨。表面にはマン島君主としての
エリザベス2世 、裏面にはマン島発祥の猫である
マンクス が刻まれている。
マン島王は1399年にイングランド王 の臣下となり、その関係はグレートブリテン国王 に引き継がれた。1765年のマン島購入法 (英語版 ) に基づき領主(lord proprietor)の権利は7万ポンドと年2000ポンドの年金でイギリス王室に売却され、国王 (the Crown)に統合された。当時のイギリス国王ジョージ3世 がマン島を統治する初のイギリス君主となり、マン島領主となった[ 5] 。文化と伝統の理由から、マン島領主(Lord of Mann)の称号が使われ続けている。マン島におけるロイヤル・トースト (英語版 ) (君主に対する乾杯)の掛け声は"The King, Lord of Mann "(マン島領主たる国王)である。この言葉は、チャールズ3世がマン島の君主であると宣言されたときにも使用された[ 6] 。
女王の場合、ヴィクトリア は"Lady of Mann"と称したが[ 7] 、エリザベス2世 は"Lord of Mann"と称した。
領主の一覧
1504年以前
1504年以前のマン島の統治者は一般にマン島王 (英語版 ) (King of Mann ) の称号を使用した[ 8] 。
16世紀
相続争い(1594年 - 1607年)
第5代ダービー伯爵ファーディナンド・スタンリーには息子がおらず、その死後、ファーディナンドの娘たちとファーディナンドの弟のウィリアム・スタンリー の間で相続争いが起き、1598年に枢密院 で審理が行われた。枢密院は、マン島の権利は当時のイングランド女王エリザベス1世 にのみ属し、マン島の権利をダービー伯爵 家に与えた1405年の勅許状 は無効であると判断した。それは、マン島のそれ以前の統治者である初代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー が反逆罪 を犯したにもかかわらず法的措置が取られなかったためである[ 9] [ 10] 。
エリザベス1世は、ダービー伯爵家のイングランド王室に対する功績を考慮して、マン島に対する自身の権利を撤回し、権利争いをしている者の中で最良の継承者の決定を枢密院に委ねた。枢密院は、イングランドの国璽が押印された勅許状に基づくマン島に対する権利は、イングランドの慣習法に従って「男性相続人」ではなく「一般相続人」に相続されるとして、権利はファーディナンドの娘たちに与えられると判断した。ウィリアムは、マン島に関する権利がファーディナンドの娘たち(ウィリアムの姪)に分割相続された後に、それを購入することに同意した[ 11] 。
暫定措置(1607年 - 1609年)
相続争いはファーディナンドの娘たちが正当な相続人であるという裁定で決着した。しかし、長女が成人するのは1609年であるため、国王ジェームズ1世 は勅許状により以下の2人を臨時領主に任命した[ 12] 。
当初の勅許状は無効とされ、イングランド議会 は国王ジェームズ1世の名のもとに「ダービー伯爵ウィリアムの名前と血脈の下にマン島を保証し確立する法律」を1609年に成立させ[ 13] 、「マン島領主」という称号を法的に確立させた。1609年7月7日の勅許状により、第6代ダービー伯爵ウィリアム・スタンリーにマン島の領有権が与えられた[ 14] 。それ以降のマン島領主の継承は、この勅許状に記載された条件に基づいて行われた[ 15] 。
17世紀・18世紀
1736年の第10代ダービー伯爵の死後、第7代ダービー伯爵の娘の孫に当たる第2代アソル公爵ジェームズ・マレーがマン島領主を継承した。
イギリス国王への統合
1765年、第2代アソル公爵ジェームズ・マレーの娘のシャーロット・マレーは、マン島の領有権を7万ポンドと年2千ポンドの年金でイギリス王室に売却した。1765年のマン島購入法 (英語版 ) により、「マン島領主」の称号は国王 (the Crown ) に統合された。それ以来、マン島領主はイギリス国王が継承している。
1828年、アソル公爵 家がマン島に残した全ての財産および権利は、イギリス政府の大蔵省 に417,144ポンドで売却された[ 16] [ 17] 。
副総督
マン島領主の権限は、マン島副総督 (英語版 ) (Lieutenant Governor of the Isle of Man ) によって代行される。
脚注
^ “王室属領の行財政制度と国際業務 ~マン島とチャネル諸島の仕組み~ ”. 自治体国際化協会. 2023年5月7日 閲覧。
^ 弥久保宏「英国王室保護領マン島の統治システムについて : 世界最古の議会 Tynwald の構造を中心に 」『駒沢女子大学研究紀要』第17号、駒沢女子大学、2010年12月、309-323頁、doi :10.18998/00001098 、ISSN 13408631 、NAID 110008091492 。
^ “Tynwald of Today ”. Tynwald . December 3, 2008時点のオリジナル よりアーカイブ。2023年5月7日 閲覧。
^ “A new electorate for the Isle of Man” . BBC News . (19 November 2006). http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/politics_show/6151288.stm 11 May 2010 閲覧。
^ “Isle of Man ”. The official website of The British Monarchy . October 29, 2013時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年10月27日 閲覧。
^ “Proclamation of King Charles III, Lord of Mann ”. Youtube . Gef the Mongoose. 14 October 2022 閲覧。
^ Callow, Edward (1899). “Preface” . From King Orry to Queen Victoria: A Short and Concise History of the Isle of Man . London, UK: Elliot Stock. http://www.isle-of-man.com/manxnotebook/fulltext/cw1899/preface.htm 2013年10月27日 閲覧。
^ “Kings & Lords of Mann ”. Manx National Heritage . May 30, 2007時点のオリジナル よりアーカイブ。2023年5月7日 閲覧。
^ Callow, Edward (2007). From King Orry to Queen Victoria: A Short and Concise History of the Isle of Man . Gardners Books. ISBN 978-1-4326-8295-8
^ Parr, John (1867). “Reign of Queen Elizabeth” . In Gell, James . An Abstract of the Laws, Customs, and Ordinances of the Isle of Man . Douglas: The Manx Society. http://www.isle-of-man.com/manxnotebook/manxsoc/msvol12/p035.htm 2013年10月27日 閲覧。
^ “William, Sixth Earl of Derby, 1610-1627 ”. Isle-of-man.com . 2013年10月27日 閲覧。
^ Oliver, J.R., ed (1861). “Grant of the Isle of Man to the Earl of Northampton and the Earl of Salesbury” . Monumenta de Insula Manniae . III . Douglas: Manx Society. p. 88. http://www.isle-of-man.com/manxnotebook/manxsoc/msvol04/v3p088.htm 2013年10月27日 閲覧。
^ Mills, M.A. (1821). “An Acte for the Assuringe and Establishing of the Isle of Manne” . Ancient Ordinances and Statute Laws of the Isle of Man . Douglas. pp. 522年 - 527. http://www.isle-of-man.com/manxnotebook/fulltext/ms1821/p522.htm
^ Mills, M.A. (1821). “Grant by James I of Island to Earl of Salisbury” . Ancient Ordinances and Statute Laws of the Isle of Man . Douglas. pp. 514年 - 522. http://www.isle-of-man.com/manxnotebook/fulltext/ms1821/p514.htm
^ Howe, David (30 November 2007). “Letter from The King of Mann” . Manx Independent . オリジナル の14 December 2007時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071214012846/http://www.iomtoday.co.im/your-letters/Manx-Independent-November-30-2007.3536200.jp 22 December 2007 閲覧。
^ “Currency converter ”. The National Archives . 2012年7月6日 閲覧。
^ “Act of Revestment 1765 ”. Isle-of-man.com . 2013年10月27日 閲覧。
関連項目