元首元首(げんしゅ、国家元首、ラテン語: dux civitatis、フランス語: chef d’État、英語:Head of state[1])とは、国の首長または、国家を外に向って一般的に代表する資格をもつ機関[2]。 歴史的には、三権を統合する国家の統治者としての絶対君主(皇帝、国王など)を指したが、三権分立が広がるに従い国家元首の権限は(行政権を除き)空洞化し、三権を統合する国家を憲法に従って統治する立憲君主(イギリスなど)、三権を統合する国家の儀礼的な長である名誉職型大統領(ドイツ、イタリアなど)、三権を統合する国家の長と行政府の長を兼任するアメリカ型大統領、三権を統合する国家の長と行政府の一部の長を兼任する半大統領制の大統領(フランスなど)などがある。三権分立の国家では、行政府の長ではない国家元首の権限は儀礼的なものが多く、行政府に対し首相の任命、立法府に対し議会の招集、法律の公布、司法府に対し最高裁判所長官の任命などの権限が残るのみである。 国家元首は、「政府の長」(行政府の長、英語: Head of Government)と異なる概念であり、「政府の長」は行政府のみを管轄するのに対し、国家元首は三権を形式的にではあるがその権限に含む。 →「日本の元首」も参照
概要「国家元首」の概念は、国家有機体説に発している。近代では、行政権の長として対外的代表権を持つ存在(人)、転じて、(行政権の長であるかないかは問わず)対外的代表権を持っている存在(人)を指して「元首」と呼ぶようになった [3]。しかし、行政権の長は「政府の長」と言われ、国家元首とは異なる概念であり、また条約法に関するウィーン条約第7条第2項(a)は、全権委任状がなくても当然に対外的に国を代表する存在として、元首、政府の長、外務大臣の3名を挙げており、「対外的代表権を持っている存在を指して元首と呼ぶ」というのは正確ではなく、したがって、外国に対する代表権を基準に元首を定義するのは「論理の逆転」と言わざるを得ないとの批判もある[4]。「行政権の長として対外的代表権を持つ存在、転じて対外的代表権を持っている存在」では、「国家元首」というより、「政府の長」そのものである。 社会契約説の国家観の下では社会的な委任契約における社会的人格の一つ[注 1]。 君主制の国家では皇帝・国王などの君主、共和制の国家では大統領が元首とされることが通例である。社会主義国では大統領の他、ベトナムの国家主席やかつてのキューバの国家評議会議長、ソ連の最高会議幹部会議長、東ドイツの国家評議会議長なども国家元首に該当する。 元首の資格を持つ者は通常は憲法で定められている[6]が、国家元首に関する規程を持たない国も少なくなく、そうした国での国家元首は慣習上のものである。各国の憲法により、国家元首が政治の実権を持つ場合も持たない場合もある。実権の有無、統治形態の違いにかかわらず、国家元首は国家の長としての特別な権威を持つべきだと考えられている[要出典]。しかし同時に自由主義、および国民主権の立場からそうした権威は不要であるとする考えもある[要出典]。 一般的に国家元首が置かれる場合、ひとつの国に一人とされるが、例外もいくつかある。 分類以下の項目において国家元首の大まかな分類を行う。各国の憲法上の規定には差異があり、元首の機能も多種多様である。 君主制国家の国家元首絶対君主制国家・専制君主制国家の元首皇帝や国王のような君主が、強大な政治的権限を有している。君主は世襲であることがほとんどである。憲法を制定していない場合(絶対君主制国家)や、憲法を制定していても実際的には君主の大権が憲法を超越している場合(専制君主制国家)などがある。このような国家では、君主が富裕で国家から歳費を支給されていないことが多い。そのため、政府や議会が歳費の支給を停止して、君主の権限である大権を制限させることができない。さらに、宣伝や教育によって君主による統治の正当化が行われている。 リヒテンシュタインの公(侯)[注 2]は形式的には立憲君主制[7][8]の君主であるが、実際的には強大な権限を握っており、絶対君主制または専制君主制の典型であるといわれる。 アラビア半島所在の諸国(サウジアラビア、アラブ首長国連邦を構成する7首長国、オマーン、カタール、クウェート)のスルターンは、絶対君主制の君主の典型である。君主の下に行政の実務を担当する首相が置かれる場合もあるが、君主が首相を兼任していたり、君主の一族(皇太子など)が首相となっている場合も多く、こうした事例では事実上、首相の権限は君主大権の中に包括されている。 アラブ首長国連邦の国家元首は大統領である。これは国家の最高意志決定機関である連邦最高評議会(FSC)で互選されるため、形の上では君主ではない。しかし、連邦最高評議会は絶対君主制を採る7首長国の首長から構成されるとともに、実際には大統領はアブダビ首長、副大統領兼首相はドバイ首長が世襲により継ぐのが慣例化している。さらに、アブダビは連邦の最大国家であるとともに連邦の中心国家である[9] ため、アブダビ首長が兼ねる連邦の大統領は事実上、絶対君主制国家の君主に比肩する強大な権限を行使している。 立憲君主制国家の元首君主の政治的権限が強い立憲君主制国家の元首議院内閣制を採用する立憲君主国であり、行政を担当する首相が存在するが、国家元首である君主(国王)が国政の実権を握っている場合。 ヨルダン・ハシミテ王国の国王などが、これに分類される。 君主が儀礼上の存在となっている立憲君主制国家の元首議院内閣制を採用する立憲君主国であり、行政は議会に指名される首相に委ねられ、国家元首である君主(国王)は国政の実権を有さない場合。 イギリス、オランダ、ノルウェー、デンマーク、スペイン、カンボジア、タイなどの国王が、これに分類される。 憲法上、国家元首に期待される役割は、内閣の助言と承認に基づく首相を始めとする官吏の任免や、外国元首・大公使の接受といった儀礼的なものである。これらの国の中には、イギリスの国王のように法律上は強力な権限を与えられているケースもあるが、そうした権限は長年の不行使により形骸化しており、実際には行使されないのが通例である。上記のような理由から政治的発言の自制が求められる。
上記の通り、このタイプの国家の君主は儀礼的役割のみを果たすことが通例であるが、政争やクーデターによる国政の混乱時には、仲裁者としての役割を期待され、権限を行使する場合もある。
君主は世襲によって継承されることが一般的であるが、例外もある。
君主が統治権の行使に関与せず象徴化している立憲君主制(=象徴君主制)国家の元首→詳細は「象徴君主制」を参照
立憲君主制のひとつではあるが、君主の政治的権限を排除した場合には、君主=国家元首の役割は象徴的なものに限定される。こうした事例に対しては、象徴君主制という新たな区分で説明されることがある。 スウェーデンの国王は、首相の任命や議会の招集・解散の権限を形式的にも失っており、国家元首と行政府を完全に分離している[10]。そのため、世界で最も象徴的な立憲君主制とされており、これを象徴君主制の典型とみなす説がある[11]。 イギリスの国王(女王)もこれに分類されることがある[12]。イギリスの国王は形式的には強力な権限を持っているが、実際にはそれを行使しないのが通例となっているからである。 日本の天皇もこれに分類されることがある。日本国憲法第4条に「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されているからである(象徴天皇制)。ただし、天皇が元首であるか否かは諸説ある(「#日本の元首」を参照)。 共和制国家の国家元首共和制国家では国家元首の権限は各国の政治体系によりまちまちであり、大統領が議会から独立した政府の長として強大な権限を握っている場合(大統領制)、大統領は行政に関して権限を有するが、議会による一定の制限を受ける場合(半大統領制)、大統領は形式的な権限を行使する象徴的なものである場合(議院内閣制)、などがある。社会主義国は君主制でない点において共和制国家に分類されるが、国家元首の地位は形式的・象徴的であり、実権は共産党の書記長・総書記が握っていることが多い。また、国家元首の地位は独任の機関ではなく、合議体の長(ソ連の最高会議幹部会議長、東ドイツなど旧東欧圏やキューバの国家評議会議長など)であることが多い。東アジアの共産圏では、大統領に相当する職位がある場合でも、中国やベトナム、北朝鮮のように国家主席と称する。 大統領制国家の国家元首大統領は有権者の選挙により選出され(代議員制の場合もある)、一般に政府の長として強大な権限を有する。大統領は議会とは独立した地位にあり、議会の勢力と関係なく一定の任期が保証される。一般に大統領は議会の法案への拒否権を持つが、法案の提出権はない[注 3]。また閣僚の任免権を有する。閣僚は一般的に、国会議員との兼任はできない。議会の勢力が、大統領派の与党で占められている場合には強大なリーダーシップを発揮できるが、野党が多数派になった場合には厳しい議会運営が強いられる。
半大統領制国家の国家元首議会が選出する首相・内閣と、国民が直接選挙で選ぶ大統領(国家元首)が併存する体制[13]。行政権の主体は大統領と首相(内閣)にあることが多く、内閣の首班たる首相は議会の承認を得て大統領に任命される。大統領は議会と独立した存在でその任期中は地位、身分を保障され、首相の任免権を通じて実質的に法案提出権を行使する。このように内閣は議会に責任を持ち、議院内閣制の枠組みが取り入れられているが、同時に大統領に対しても責任を負っている。大統領は議会解散権や法案拒否権、大統領令の発布など議院内閣制と比べより強大な権限を有することが多い。 議会で大統領側の勢力が多数を占めれば、大統領は内閣を自由に組織し、内政でも強大なリーダーシップを発揮できるが、反対勢力が多数派を占めた場合は、反対勢力の党首に組閣を命じざるをえず、外交・国防は大統領、内政は反対勢力の首相が分担することとなる。このような状態をフランスではコアビタシオンと呼ぶ。 フランスやロシアの大統領や中華民国の総統が、半大統領制に分類される[14]。 議会共和制国家の国家元首議院内閣制を採用する共和国の大統領がこれにあたる。行政は議会に指名される首相に委ねられ、国家元首である大統領は国政の実権を有さない。憲法上、国家元首に期待される役割は、内閣の助言と承認に基づく首相を始めとする官吏の任免や、外国元首・外交官の接受といった儀礼的なものである。大統領は直接選挙で選出される場合と、それによらずに議会の投票により功績のある長老政治家が選出される場合などがある。これらの国の中には、オーストリアの連邦大統領のように法律上は強力な権限を与えられているケースもあるが、そうした権限は長年の不行使により形骸化しており、実際には行使されないのが通例である。 インド、イタリア、アイルランド、アイスランド、ギリシャの大統領、ドイツの連邦大統領、オーストリアの連邦大統領などが、これに分類される。 スイスでは、合議体である連邦参事会(内閣)が国家元首かつ政府の長とされているが、その7人の閣僚の中の1人が輪番制で就任する連邦大統領(任期1年)は、他国において通常、国家元首が果たす儀礼的な機能を果たしている。 スイスに類する例として、かつてのイングランド共和国においても、元首として護国卿が設置されるまでは、合議体である国務院(Council of State)が元首とされた。なお、国務院の議長は(枢密院議長と同じく)Lord President of the Councilと呼ばれたが、ここでいうpresidentは単に議長の意味である。 社会主義国の国家元首社会主義国の国家主席の権能は国によりまちまちであるが、通常は議会共和制国家における国家元首に相当する権能を有する[注 4]。国家主席自体は儀礼的な存在であり、実質的な最高指導者である共産党の党首(書記長・総書記・第一書記など)が兼任したり、長老幹部を礼遇するための名誉職として用いられたりするケースが多いが、元首の職権に実質的権限が付与されるケースとして、毛沢東・劉少奇が就任した時代の中華人民共和国主席や金日成時代の朝鮮民主主義人民共和国主席、ミハイル・ゴルバチョフが就任したソビエト連邦大統領がある。ベトナムでは、最高指導者であるベトナム共産党書記長と元首であるベトナム社会主義共和国主席が分離することが慣例化しているものの[注 5]、同国の国家主席は憲法上は軍の統帥権を持っているため、全く無力な存在という訳ではない。なお、党中央が動揺する非常時に、儀礼的な国家元首が自らの判断で重要な権限を行使する例[注 6] がある。
他に社会主義国の特徴としては、正式には国家の最高決議機関の常設委員会に国家元首の権能が与えられ、その議長が代表して国家元首の権限を執行するケースが見られる[注 7]。 北朝鮮の国家元首に関する規定は複雑であり、名目上の国家元首と実際の最高権力者が一致しない時期がある。
キューバでは、2019年までは国家元首は国家評議会議長であり、単に儀礼的地位にとどまらず強大な権限を有していた。さらに、内閣に相当するのは閣僚評議会であり、閣僚評議会議長が行政権の担当者としての首相に相当する。機構上ではその両者は分離されているが、1976年制定の新憲法では国家評議会議長は閣僚評議会議長が兼任すると規定されており、国家元首と行政権の首長の権能は統合されて国家の最高指導権が集中していた[注 9]。ラウル・カストロが国家評議会議長を退いた2018年以降は大統領制が導入され、国家元首は大統領と定められた。 専制国家・軍事国家・独裁政治国家の国家元首形式的には共和制などの政体を採っているものの、実際には終身大統領のような独任制の元首が強大な政治的権限を有している。軍部・宗教団体・部族・外部勢力といった特定の集団が権力を掌握し、その代表者が元首に就任していることが多い。これらの場合、形式的に議会は存在していても、それは国家元首や特定集団の追認機関に過ぎない。民主的で公正な選挙が行なわれていないこともよく見られる。北朝鮮、アフリカの多くの諸国や、いわゆる「開発独裁」制を敷く国家、かつての南米の多くが、これに分類される。 軍事国家では、軍部出身の大統領が国家元首となる場合や、軍事政権が樹立した「○○評議会」(革命評議会、救国評議会、国家評議会など)議長が国家元首の役割を果たす場合、などがある。
かつてのナチス・ドイツでは、1934年8月2日に発効した「国家元首に関する法律」によって、それまで国家元首であった大統領と首相の職務が統合され、指導者および首相であるアドルフ・ヒトラー(Der Führer und Reichskanzler Adolf Hitler)個人に大統領権限が委譲された。これはヒトラーが民族共同体の指導者であるという指導者原理に基づくものであり、法律や命令を必要とせず、発言すべてが「法」となる存在となった(総統を参照)。 ナチス・ドイツの支配下にあったクロアチア独立国(1941年 - 1945年)では、建国当初の国家元首は国王(トミスラヴ2世)であった。しかしこの地位はまったく形式上のもの(トミスラヴ2世は終始イタリアに居住し、クロアチアには足を踏み入れることがなかった)であり、国家の最高指導者はポグラヴニク(国家指導者または総統と訳される)の称号を名乗るアンテ・パヴェリッチであった。さらに、1943年のイタリア敗戦にともなってトミスラヴ2世国王が退位したため、パヴェリッチはポグラヴニクの称号のもとで名実ともに国家元首となった。 特殊な政体を採る国家の元首ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)が支配していた時代のリビアはジャマーヒリーヤ(直接民主制)という特異な政体を標榜しており、法的には国家元首は存在しなかった。通常は国家元首の職務とされている権能の一部は、全国人民会議書記が担っており、同書記が事務的には元首代行ともいえる。事実上の最高指導者は革命指導者のカッザーフィーであり、1979年までは革命評議会議長や全国人民会議書記長という役職に就いていた名実ともに国家元首であった。カッザーフィーは1979年に一切の公職を退いているが、それ以降も革命指導者という肩書で他国元首と親書のやり取りをするなど、対外的に国家元首と受け取れる役割を担っていた。その一方でカッザーフィーは1988年に勃発したパンアメリカン航空103便爆破事件の容疑者引き渡し問題で国連のコフィー・アナン事務総長と会談した際には「私は国家元首でも首相でもないので、容疑者を引き渡す権限を持っていません」と語ったことがある。 イランはイスラム共和制を採っており、国家元首に相当するのはイスラーム聖職者である最高指導者である。それとは別に、直接選挙によって選ばれる大統領は存在するが行政権の首長にすぎず、最高指導者から解任される規定がある。ただ、対外的にはイランの大統領も元首に準ずる存在として扱われている。日本の外務省は最高指導者と大統領が「元首」としての権能を分有しているとしている[15]。 バチカン市国の国家元首はローマ教皇である。ローマ教皇はバチカンという独立国の国家元首であるとともに、全世界のローマ・カトリック教会の統治者であり、イエス・キリストの代理人とされている。教皇の選出はローマ・カトリック教会の高位聖職者である枢機卿による互選(コンクラーヴェ)であるから、大統領制のような国家元首公選制と見ることもできる。ただ、教皇は任期が定められていない上に本人の意に反する退位が認められておらず、事実上終身の地位である[注 10]。また教皇の地位には特別な権威(聖座)が認められている。そうした点ではバチカン市国の国家元首としてのローマ教皇の地位は大統領制の大統領と同等とはいえず、むしろ選挙君主制のもとでの君主に近い。 チベット(1959年以降は亡命政権)の国家元首は、チベット仏教のダライ・ラマ法王であった。ダライ・ラマ法王の地位は世襲でも選挙制でもなく「転生」という特異な方式により継承されていた。1959年のチベット動乱によってダライ・ラマ14世とチベット政府(ガンデンポタン)はインドに移って亡命政府を樹立した。1961年、将来の独立チベット国家の体制の指針であるとともに亡命チベット人社会を統治するための自由チベット憲法が制定され、ダライ・ラマは立憲君主制体制の元首と定められた。その後、2011年にダライ・ラマ14世の発議によって亡命チベット人憲章が改訂され、ダライ・ラマは「チベットとチベット人の守護者であり象徴」となり、チベット亡命政府の国家元首の座は亡命政府主席大臣に移譲された。 サモア独立国(1997年7月3日までは西サモア(独立国))の国家元首は、オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー(サモア式国家元首)であり、独立前の1960年10月28日の起草によるものであり、1962年1月1日の独立とともに施行された憲法で定められた国家元首の称号である。「アオ」「マーロー」は現地語(サモア語)でそれぞれ「頭(ここでは“長(おさ)”)」「政府/王国」を意味する(詳細はサモア国家元首の「概要」を参照)。 政治的な諸事情によって本来の国家元首を置くことができない場合、それに代わる存在が国家元首となる場合がある。
満洲国は1932年の建国の際、愛新覚羅溥儀が国家元首となった[16]。清の最後の皇帝であった溥儀は、満洲国でも皇帝となることを熱望していたが、同国の実質上の支配者であった日本の関東軍は帝政を採ることによる新国家のイメージの低下を懸念してそれを許さなかったため、建国当初の満洲国の国家元首の称号は執政という曖昧なもの[独自研究?]となった。関東軍の意向は「満洲国の元首は執政、ただし執政が善政を敷くこと数年に及ぶならば、全国民の推戴によって執政は皇帝となる」というものであった。1934年(康徳元年)3月1日、満洲国は帝政に移行して溥儀が皇帝に即位、それによって「執政」の称号は消滅した。満洲国の組織法第三条は「皇帝は国の元首にして統治権を総攬し本法の条規によりこれを行ふ」と規定した[17]。 ヴィシー政権のフランス(国号は「フランス国」、1940年 - 1944年)の国家元首はフィリップ・ペタン元帥であった。国家元首としてのペタンはフランス国家主席(フランス語: Chef de l'État français)の称号を名乗っていた。この国は、憲法が「全権力をペタン将軍に委任する」の1条だけから構成されるという、きわめて特異な国家体制を採っていた。 日本の元首→詳細は「日本の元首」および「象徴天皇制 § 議論」を参照
大日本帝国憲法では天皇を元首と規定していたが、日本国憲法を始めとする現行の日本の法律には国家元首の規定がない。 内閣法制局は、「要するに元首の定義いかんに帰する問題である」「かつてのように元首とは内治、外交のすべてを通じて国を代表し行政権を掌握をしている、そういう存在であるという定義によりますならば、現行憲法のもとにおきましては天皇は元首ではないということになろう」「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えない」[18]「天皇は限定された意味における元首である」としており[19]、天皇を元首と呼びうるかは定義によるとしている[20]。 憲法学説上は議論があり、多数説は内閣または内閣総理大臣元首説で、元首不存在説等もある。 外交慣例上では天皇は元首と同様の待遇を受けている[21]。 国家元首に関する慣例国家元首の慣例とみなされる例については「兵は誰に忠誠を誓うか」や「自国で開催されたオリンピック開会式の開会宣言は誰が行うか」などがある。 外交特権国家元首や政府の長および外務大臣については、慣例により対象国による外交官接受がなくとも外交特権が認められる。 パスポートや査証の扱いも異なり、例えば日本では、皇后を除く皇族が外交の際に用いるパスポートは外交旅券であり、天皇及び皇后は旅券は必要ない。公式訪問の際には、受入れ(接受)国に保護義務が発生する。 兵は誰に忠誠を誓うか古代ローマの昔より軍はインペリウム(ローマ法に承認された命令権)に対して忠誠の宣誓を行なうことが政軍関係の基礎とされていた。 日本では1882年(明治15年)の軍人勅諭において、統帥権は天皇にあり忠節は国家・国権に尽くすものとした。戦後、この忠誠宣誓は自衛隊法施行規則(39-42条)により規定された[22] が、国、日本国憲法、法令および国民の負託に宣誓する体裁をとっており、天皇や内閣総理大臣に対する宣誓の体裁は採用していない[23]。一方で自衛隊法第7条により、内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する、とされる。なお、服務宣誓については国家公務員一般職(国家公務員法第97条[24])、地方公務員一般職(地方公務員法第31条[25])においても求められる。 オリンピックの開会式の開催宣言は誰が行うか→「オリンピックの開会宣言者一覧」も参照
オリンピック憲章では近代オリンピックの開会宣言は、開催国の国家元首によっておこなわれるものと規定されている[26]。 日本で開かれた近代オリンピック(1964年東京・1972年札幌・1998年長野、2021年東京)では、いずれも天皇が開会宣言を行っている[21]。 一個人としての国家元首がいないとされるスイスでは2回のオリンピック(1928年サンモリッツと1948年サンモリッツ)でいずれもその年の連邦大統領が開会宣言を行っている。 1980年にソビエト連邦で開かれた1980年モスクワオリンピックでは最高会議幹部会議長レオニード・ブレジネフが開会宣言を行っている。 英連邦王国においては、1976年モントリオールオリンピックではエリザベス2世がカナダ女王として開会宣言を行っている。その後、1988年カルガリーオリンピックでカナダ総督ジャンヌ・ソーヴェが開会を宣言して以降、2000年シドニーオリンピックではオーストラリア総督ウィリアム・ディーンが、2010年バンクーバーオリンピックではカナダ総督ミカエル・ジャンが開会を宣言している。 ただし、憲章ができる前には閣僚や有力者が、国家元首が出席できない場合は国家元首に準ずる人物(王配や副大統領など)が、開会宣言を行ったことがある。 その他国家元首が宗教の首長を兼ねる例現在の事例として、次のようなものがある。
かつての事例(近代以降)。
日本における「外国の元首」が関連する法規定日本では「外国の元首」が関連する法規定として以下のものがある。
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目日本関連外部リンク |