総督総督(そうとく)は、集団や領域の統率者(特に軍権を持つ者)のこと。またその職名。日本語での原義は中国史における明・清代の地方長官の職名に由来するが、ローマ帝国の "rector provinciae" や イギリス帝国の "governor" など、君主や本国政府によって任命された、占領地や植民地における最高統治者の定訳として用いられることが多い(一方で選挙などを経て住民によって選ばれる場合は知事と訳される)。以下、日本語で総督とされるものを挙げる。
中国中国の「総督」とは、国内の地方長官のことである。同時期の地方長官である巡撫が一省程度を管轄したのに対し、総督は複数省の軍民両政を執りしきった。明には国難があった時に柔軟に対応するための臨時官(宣大総督・陝西三辺総督など)であったが、この官職名を継承した清は常設官として大権を与えた。また、清ではこれら通常の総督の他に、特命大臣的な総督(河道総督・漕運総督など)も配置した。清朝末期になると地方行政を一手に担う総督の中には中央朝廷より実力を持つ者も出始めた(曽国藩・李鴻章・袁世凱 等)。 清の総督(uheri kadalara amban)
日本日本でも歴史的には、下関条約調印後、1895年から1945年の間台湾総督府を、日韓併合条約調印後、1910年から1945年の間朝鮮総督府を、それぞれ設置したことがある。香港を占領した日本軍は、イギリスの香港政庁に代わる香港占領地総督部を1942年から1945年の間設置した。 また明治初期の地方裁判所の長官にあたる職位に総督という呼称を用いたこともある。 →詳細は「裁判所 (地方制度)」を参照
古代ローマ帝国→「属州総督」を参照
東ローマ帝国→「エクザルフ」も参照
[1] 東ローマ帝国では、6世紀末に総督職(ギリシア語: ἔξαρχος, 英語: Exarchates, 古典ギリシャ語再建音:エクサルコス、現代ギリシャ語:エグザルホス)が設けられた。総督は「地方大守」と訳される事もある。 476年の西ローマ帝国の滅亡後も、東ローマ帝国は古代末期には安定した状態を維持し、領土拡張を行う能力を保持していた。ユスティニアヌス1世の再征服の間に、北アフリカ・イタリア・ダルマチア・スペインが、東ローマ帝国の版図に入った。この領土拡張は帝国の限られた資源にとり途方も無い重圧となり、征服事業にかかった軍事費は東ローマ帝国の国家財政の破綻の要因ともなった。しかしながらユスティニアヌス帝の後継者である東ローマ皇帝たちは、再征服された領土を放棄して重圧を免れる方策を採らなかった。この経緯により、地方の変化に恒常的に対処する総督府(英語: Exarchates)が設置される事になる。 ローマは早々に見放されたが、6世紀末の皇帝マウリキウスによってラヴェンナと北アフリカのカルタゴに総督府が設けられ、東ローマ帝国は版図の維持に努めた。 ディオクレティアヌスによる専制君主制の強化により、属州の行政権と軍事権は別々の系統に属しており、総督も当初は軍の最高指揮官として置かれた。しかし徐々に臨戦体制強化のために行政権も握るようになった。軍事指揮官に行政権も与えて権限を集中させる傾向は、後のテマ制(軍管区制)へとつながっていく。総督は皇帝の代理だけでなくコンスタンティノープル総主教の代理としての役割も果たした。カルタゴ総督府は7世紀にウマイヤ朝によって、ラヴェンナ総督府は8世紀にランゴバルド王国によって陥落し、東ローマ帝国からは失われていった。 オランダ→詳細は「オランダ総督」を参照
16世紀~18世紀のネーデルラント連邦共和国(オランダ)では、各州の議会あるいは連邦議会により、州の首長として総督(Stadtholder;「統領」とも訳される)が任命された。事実上、君主に近い地位であり、後のオランダ王家であるオラニエ=ナッサウ家の一族がほとんど世襲していた。 イギリスイギリスの歴史(特にイギリス帝国時代)において海外領土や植民地の地方長官を指す場合のガバナー(Governor)やガバナー・ジェネラル(Governor-General)が一般に総督と訳される。ガバナー自体は統治者の意味で単に組織や統治機関の長を意味するが(刑務所長や雇用主など)、総督と訳す場合は国王や本国政府によって任命された植民地や自治領(ドミニオン)の長官を基本的に指す(勅任総督)。対して自治植民地のような住民によって民主的に選ばれた場合のガバナーは知事と訳されることもある。 また、各植民地や自治領の自治権拡大や独立後に成立したイギリス連邦各国における、イギリス王室の名代である名誉職としてのガバナー・ジェネラルも総督と訳される。詳細は総督 (ガバナー・ジェネラル)を参照。 植民地における総督は王室の直轄領を指す王冠植民地によるものが典型例であり、総督は君主に任命され、現地で執務を行った。その権限は時代や場所によって異なるが、一般には現地人からなる植民地議会(参事会)が存在し、それと協調して行政を行った。一般に総督というと任地の政治一切を専横することが可能だったと思われているが、実際には立法権や予算支出権を持つ議会の掣肘を受けることが多かった[2]。対する総督も議会の解散権で対抗することがあった。また実質的な職務は現地に精通した総督代理(Resident、理事官や弁理公使とも)が行うことも珍しくなかった。 領主植民地では、本国に在住する領主が現地での執務者として代官を任命する場合、代理総督(Deputation governor)や副総督(Lieutenant governor)という名称の役職を用いた。 18世紀の、いわゆるカリブの海賊の文化においては、しばしば置き去り刑の婉曲表現として「(無人の)島の総督への任命」("made governor of an island")というものがあった。 ドイツドイツ帝国時代、海外のドイツ植民地やヘルゴランド島の統治者として「ドイツ語: Reichskommissar」が派遣された。この役職は海外統治だけではなく、特定の政治問題担当者にも任じられるが、植民地や占領地の統治者であるReichskommissarは「総督」と訳されることも多い。 ナチス・ドイツ時代には占領地の統治に当たるReichskommissarが、東部占領地域(ウクライナ、バルト三国)や西ヨーロッパに設置された。またポーランドのうち、ドイツに併合されなかった部分には「ドイツ語: Generalgouverneur」であるハンス・フランクのポーランド総督府が支配に当たった。また形式上ドイツの保護領となったチェコ(ベーメン・メーレン保護領)においては、「ドイツ語: Reichsprotektor」が行政のトップとされた。これらの役職もそれぞれ総督と訳されることが多い。 各国の総督一覧アメリカ合衆国イギリス
オランダポルトガルスペイン大日本帝国フランス脚注
参考文献
関連項目 |