マーティ・キーナート(Marty Kuehnert、1946年7月19日 - 2024年11月8日[1]または11月9日[2][3])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身のスポーツライター、評論家及びプロ野球チーム「東北楽天ゴールデンイーグルス」の初代ゼネラルマネージャー(GM)で社長補佐を務めた[1][2][3]。
人物・経歴
スタンフォード大学政治学部出身。
1965年、スタンフォード大学在籍中に慶應義塾大学に特別交換留学生として初来日し[4]、卒業後の1969年に再来日し、慶大インターナショナルセンター日本語コースを修了、以後日米を通じたスポーツビジネスに身をおく。
1972年にロッテオリオンズ子会社のA級カリフォルニアリーグ・ローダイ・オリオンズのゼネラルマネージャーを務めた後、1974年には太平洋クラブライオンズのフロントとして入団し、営業開発促進室室長としてファンサービスの原点を日本へ持ち込んだ。
日本人の妻を持ち、1974年にニューヨーク・タイムズ紙において、前年ヤクルトアトムズを退団したジョー・ペピトーンが物価の高さを主に日本を激しく批判する記事が載った際には、反論文をMLB全24球団とニューヨーク・タイムズ紙に送っている[5]。
その後はスポーツライターとして日本とアメリカのスポーツ文化の違い、またアメリカ人の目で見た日本のスポーツ界の現況をレポートしている。また日本に当時存在しなかったアメリカンスタイルのスポーツバーを持ち込み経営した。その他、サンテレビプロ野球解説者(阪急ブレーブス戦)、関西テレビなどでの英語中継の実況アナウンス、テレビ東京『スポーツTODAY』のキャスター、毎日放送『世界まるごとHOWマッチ!!』のゲスト解答者なども務めた。1990年から1991年にかけて、シカゴ・ホワイトソックス傘下AA級バーミングハム・バロンズの社長となったこともある[6]。
また、多くの外国人助っ人のエージェントも務め、現在もランディ・バースの代理人を務める。また、ベースボールカードビジネスも日本に紹介、ベースボールマガジンカード社の設立に加わる[要出典]。
2004年10月、翌2005年からNPB・パシフィック・リーグに参入した新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)」の初代ゼネラルマネージャー(GM)に就任した[7]。しかし、参入初年度となった2005年4月後半、チームの負けが込み連敗が2桁になったことを理由に、4月29日付でGMを解任されて球団アドバイザーに降格となった。その後、2008年より球団社長補佐を務めた後、シニア・アドバイザーを務めた。
2005年に東北大学特任教授、2009年に仙台大学副学長兼教授に就任。
また2018年より、Bリーグに所属するプロバスケットボールチームである仙台89ersのオーナー代行兼シニアGMに就任した[4]。
2024年11月8日、心不全のため、死去した[1]。78歳没。訃報は同月10日に公表された。同年12月1日、仙台市内でお別れの会が行われ、関係者など約420人が参列した[8]。
その他
- 大事MANブラザーズバンドのCDアルバム「FOR THE KIDS」に収録されている「キボウ(FOR THE KIDS)」にて、冒頭の英文のナレーションを担当している。
- 2002年7月にパンチョ伊東(伊東一雄)が死去した際に、追悼文の中で「明らかにカツラだったが、死ぬまでその髪型を貫いた男」と評している。
関連情報
テレビ出演
ドラマ出演
著書
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク