ユーモレスク (ドヴォルザーク)『8つのユーモレスク』(フランス語: Humoresques, チェコ語: Humoresky)作品101(B. 187)は、アントニン・ドヴォルザークが1894年の夏に作曲したユーモレスク集。中でも変ト長調の第7曲は、最も有名なピアノ曲の一つに数えられており[1]、またクライスラーによるヴァイオリン用の編曲でも名高い。 作曲の経緯
ニューヨークのナショナル音楽院の院長として1892年から1895年まで院長職にあった米国時代のドヴォルザークは、数々の興味深い楽想をスケッチ帳の中に書き溜めていた。こうした楽想を主題にして、たとえば『交響曲第9番「新世界より」』や『弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」』、『弦楽五重奏曲第3番 変ホ長調』、『ソナチネ ト長調』といった大作を書き上げていったのだが、いくつか使わずじまいのままで残されたものもあった。 1894年、ドヴォルザークは家族とボヘミアのヴィソカー・ウ・プシーブラミで夏休みを過ごした。この休暇中に、蒐集した素材を用いてピアノのための小品集の作曲に着手し、7月19日にロ長調の小品をスケッチした。これは現在の第6曲のことである。だが間もなく、出版を目論んでこの曲集の完成に取り掛かり、1894年8月27日に譜面が出来上がった。草稿段階ではドヴォルザークはこの曲集を(1877年の『スコットランド舞曲』作品41に対して)『新スコットランド舞曲』と呼んでいた[2]。曲集が『ユーモレスク』と名付けられたのは、譜面がドイツの楽譜出版社、ジムロックに送付される寸前のことであった。楽譜は同年8月中に出版されている。 8つの曲はすべて2⁄4拍子であり、規則的に8小節が一区切りになっている[2]。 ジムロック社は、第7曲が大変な人気を博したのを利用して、さまざまな楽器や合奏のための編曲版も発表した。後に歌詞をつけて歌曲として発表され、また合唱曲としても編曲された[3]。 日本における『ユーモレスク』の演奏(録音)のもっとも早い例として、1933年にわずか13歳の諏訪根自子がSPレコードで第7曲の録音を残している。(コロンビアレコード) 楽曲構成次の8曲から成る。
第1曲の主要主題は1892年の大晦日にニューヨークでスケッチされ、「葬送行進曲」との但し書が付けられていた[1]。一方の副主題には、「街路で人々が歌う」と添えられていた。第4曲の開始主題もニューヨークでスケッチされており、実現しなかった歌劇『ハイアワサ』の素材が転用されている。 付点のリズムやペンタトニックの偏愛といった「アメリカ様式」は、その他の曲においても顕著である[1]。 第7曲を使用した作品
出典
参考文献
外部リンク
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