ラッセル・スペンス
ラッセル・スペンス(Russell Spence、1960年1月3日 - )は、イギリスのヨークシャー州ブラットフォード出身の元レーシングドライバー。 引退後はロンドンで建設業を営んでいる。 経歴初期のキャリア彼はヒルクライムイベントで初めてモーターレーシングキャリアをスタートさせ、1981年にスポット参戦する機会に恵まれたイギリスF3選手権でシングルシーターレースに移った。この1回のスポット参戦の後、F1イギリスGPのサポートイベントとして開催されたジュニア・フォーミュラを27位で完走した。 1982年はイギリス・フォーミュラ・フォード1600に参戦し、ドニントンパークFF1600チャンピオンを獲得。彼の好調は1983年も続き、レイナード・フォードで参戦したヨーロッパ・フォーミュラフォード2000で優勝。 フォーミュラ3FF2000で好調だった1983年シーズンの終盤に、エディ・ジョーダン・レーシングとスポット契約を結び、ヨーロッパF3選手権で1戦出場した[1][2]。 1984年に、スペンスはイギリスF3選手権をフルシーズン走る契約をミント・エンジニアリングと結び、ラルト・RT3 /84 フォルクスワーゲンに乗ることになった。第4戦ゾルダーでF3初優勝を挙げた。同年のイギリスF3選手権はジョニー・ダンフリーズが支配したシーズンで、スペンスはドニントン・パークとオウルトン・パークでの連続レースで2勝を挙げ、ポイントランキングでダンフリースに最も近づいたライバルとなったが、最終戦後にはアレン・バーグにランキングで抜かれ、3位で終えた。1985年はWarmastyle Racingから参戦し、4勝を挙げ年間3位を獲得[3]。同年11月のマカオF3グランプリでは9位となった。 フォーミュラ30001986年、F3での活躍により以前スポット契約歴もあるエディ・ジョーダン・レーシングと年間契約を結ぶチャンスをつかみ、国際F3000選手権にステップアップする。F3000は前年にフォーミュラ2から発展し誕生したカテゴリーであり、フォーミュラ1のシートを得たいドライバーのため、実力を証明する場として考えられていた。ジョーダンではマーチ・86B DFVで参戦したが、最高位は第4戦スパ・フランコルシャンでの15位と苦戦していた。第8戦からマーチ・エンジニアリングのワークス・チームであるオニクスに移籍。すると第9戦バーミンガム市街地レースで6位に入賞し、F3000初年度でのポイント獲得に成功する。 1987年はマレー・テイラー・レーシングへ移籍したが、リタイヤが多くノーポイントが続いた。第6戦を終えると、スペンスはマウントリー・モータースポーツへ移籍。すると第10戦ル・マンでの2位、それに続くハラマでの3位と連続で表彰台を獲得し、ランキング10位となった。 1988年には、ラルトに移籍し開幕戦を迎えるが、同年はF3000での新興メーカーであるレイナード製シャシーを使用するチームが強く、ラルトは苦戦を強いられる。スペンスは第3戦からレイナードを使用するマジウィック・チームに移籍したが、成績は上向かず完走は一度もなかった。最後には古巣であるオニクスへと戻りマーチ・88Bで参戦。結局ノーポイントでシーズンを終えた。F3000での不振により、F1に乗るチャンスは来なかった。 アメリカ1992年にアメリカへ渡り、トヨタ・フォーミュラ・アトランティックに参戦しいくつかの成功を収める。1993年はインディ・ライツにスポット参戦。1994年はフェラーリ・333SPでIMSA スポーツカー選手権に参戦したが、アメリカでの希望だったインディカーシート獲得は成らなかった。 BTCC5年ほどのブランクの後、1999年よりイギリスツーリングカー選手権 (BTCC)に参戦。インディペンデントチームのアリーナ・インターナショナルから出走し、ルノー・ラグナをドライブ。しかし、この年シリーズを制覇した日産やボルボ、ホンダなどワークス体制で参戦するチームが多くスペンスは苦戦が多かった。シーズン序盤は多くの事件が起こり、特にオウルトン・パークのフューチャーレースの予選では、フォード・ワークスチームのアラン・メニュのフォード・モンデオがコースアウト。その直後、スペンスの乗るラグナはメニュのモンデオを飛び越えてフェンスを突き破り、コース外に落ちる大クラッシュとなってしまった[4]。この後スペンスは欠場し、代役に1991年のBTCCチャンピオンで、ルノー・ワークスのラグナもドライブした経験のあるウィル・ホイが選ばれた。スペンスの結果は3ポイント獲得によるランキング18位だった[1][5][6]。 これ以降スペンスはレーシングキャリアを休止し、ロンドンで建設会社を経営する。 2011年、スペンスは洗車を含む一連の詐欺事件に関わったとして13週間投獄された[7]。 レース記録キャリアのハイライト
国際レースの勝利
国際F3000選手権( キー )( 太字のレースはPPを示す; イタリック体のレースは最速ラップを示します。 )
イギリスツーリングカー選手権( キー )(レースは太字で磁極位置を示す- 1 ポイントはすべてのレースに与えられます)(イタリック体のレースは最速ラップを示します)( *ドライバーが少なくとも1ラップの機能レースをリードすることを意味します-1 授与ポイント)
脚注
外部リンク
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