リビア国民評議会リビア国民評議会(リビアこくみんひょうぎかい、アラビア語: المجلس الوطني الانتقالي, ラテン文字転写: al-majlis al-waṭanī al-intiqālī; 英語: National Transitional Council)は、リビアにおいて、2011年の内戦の間に、反カダフィ勢力によって形成された反体制派組織、暫定政権である。2012年8月8日に国民議会に権限を移譲し解散した[1]。
概要2011年2月27日にリビア第2の都市ベンガジで、ムスタファ・モハメド・アブドルジャリルが結成を発表、3月5日には「リビアにおける唯一の正統な代表政府」であることを宣言した[3]。設立目的は、「革命の政治的な局面にて行動するため」としている。 日本政府の用いる正式名称は「国民暫定評議会」であるが、日本語ではこのほかにも「リビア暫定政府」「リビア国民評議会」と2通りの呼び方があり、本項目では以下「リビア国民評議会」と表記する[注釈 1]。 沿革背景2010年12月に始まったジャスミン革命、それに誘発されたエジプト革命など、中東・北アフリカに広がった民主化の勢いは、翌年2011年2月、リビアにも及んだ[4][5]。当初劣勢だったムアンマル・アル=カッザーフィー(以降カダフィ)政権は2月末には攻勢に転じ、内戦突入は不可避となった。政府に対する反感が強かったベンガジをはじめとする東部の都市は内戦前から政府の統制を脱し、反政府派の有力者が集結し始めていた[6]。 結成2月24日、数日前までカダフィ政権で法相を務めていたムスタファ・モハメド・アブドルジャリルはアルバイダにて、反政府派の政治家、元軍人、部族長、学識者、ビジネスマンらと会合を持ち、政権打倒に向けて協力を確認するとともに、政権崩壊後の暫定的な国内統治など、民主化に向けて議論を行った[7]。この動きは25日にアルジャジーラで放送され、26日にはアブドルジャリル自身が暫定政権樹立の考えを明かした。リビア駐米大使のアリー・スレイマン・アウジャリ[8][9]、リビア国連次席大使のイブラーヒーム・オマル・アル=ダバシ[10]らの協力も明らかになった。 2月27日、国民評議会の創設が宣言された。本部はカダフィ政権成立前のリビア王国の首都であったベンガジにおかれ、評議会の旗として、旧王国時代の国旗が採用された[11][12][13]。同日の記者会見では、カザフィ政権打倒後はそのまま正式なリビア政府に移行する考えが示されたため、国内のほかの自治政府から反発があがった。 内戦突入、反政府派の中軸へ当初の影響領域はベンガジ周辺に留まっていたが、カダフィ側の巻き返しに遭って一刻も早い反政府勢力の統合が求められ、またアブドルジャリル自身の知名度もあって、数日中には反政府地帯のほぼ全域に及ぶようになった。 3月5日には正式な会合を開き、アブドルジャリルを議長に選出、付属機関も設置し、評議会としての機能を開始した。同日、旧王国時代を基にした新憲法案骨子を発表した。23日、マフムード・ジブリールを国民評議会の執行委員会委員長(暫定首相)に指名した[14]。 内戦が拡大した7月ごろに路線対立が起こり、7月28日、軍事委員会のアブドゥルファッターフ・ユーニス総司令官が暗殺される事件が発生した。執行委員会が責任を取って総辞職した。 8月22日、首都トリポリをほぼ制圧し、アブドルジャリルは本部をトリポリに移す考えを示している[15]。 正式な政府へ2011年7月15日にイスタンブールで開催された第4回目リビア連絡調整グループ会合において、リビア国民評議会を「リビアにおける正統な統治当局として取り扱う」として承認した[16]。同年9月16日には国際連合におけるリビアの代表権が総会で承認され[17]、9月20日にアフリカ連合が正式な政府として承認した[18]。しかし当初は9月中旬を予定していた暫定政権の樹立は遅れ、ジブリール暫定首相が新政権への参加を見送る考えを示している[19]。 2012年7月に国民議会選挙が実施され、8月8日に議会に権限を移譲。リビア国民評議会は解散した[1]。 組織・機関
上記の組織では前政権の行政業務(治安維持・国境管理など)までは手がまわらず、地域住民有志の手も借りて行われた。 軍事→詳細は「リビア人民軍」を参照
リビア人民軍は、政府から離反した軍関係者などの反カダフィ派の義勇兵で構成される民兵組織であった。国民評議会の内部組織である軍事委員会が統率し、カダフィ政権を相手に戦闘を行った。兵器はカダフィ政権率いるリビア政府軍から奪ったものを使用した[20]。 海外からの軍事支援2011年6月29日、フランスは、上空からパラシュートを使い、反体制派に対して武器供与を行なっていることを認めた。フランス報道官は、「市民が自らを守るためだ」と正当化した[21]。 国際関係リビアにおける正統な統治当局として取り扱うとしたリビア連絡調整グループの他、連絡調整グループの参加国でなくとも、承認に転じたロシアのような例もある[22]。 →「リビア連絡調整グループ § 参加国・組織」も参照
対日関係2011年7月に日本政府は、国民評議会を正当な対話相手として承認した[23]。8月には小池百合子がベンガジを訪れ、日本の政治家として初めて国民評議会のトップであるムスタファ・モハメド・アブドルジャリル議長らと会談した[24]。 国際社会の承認状況以下は、2011年の国際社会からのリビア国民評議会の「リビアにおける唯一の代表政府」としての承認状況について述べる。
外国からの支援以下では、外国からの支援について述べる。 脚注注釈出典
外部リンク
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