ルイス・テレーロ
ルイス・エンリケ・テレーロ・ガルシア(Luis Enrique Terrero Garcia , 1980年5月18日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(外野手)。 経歴ダイヤモンドバックス時代1997年、アマチュアFAでアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約したが、肋骨や足首、股関節、大腿二頭筋を次々と痛めるなど怪我に悩まされた。 2003年7月10日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビューを果たした。 2004年はシーズン半ばからメジャーに定着し62試合に出場。傘下のAAA級ツーソン・パドレスでは58試合の出場で打率.313、9本塁打、OPS.909、15盗塁の成績を残すが、2度の出場停止処分を受けた。 2005年は88試合に出場。8月10日のフロリダ・マーリンズ戦ではマイク・ローウェルの隠し球の犠牲になった[1]。 オリオールズ時代2006年の開幕前にボルチモア・オリオールズへ移籍した。傘下のAAA級オタワ・リンクスでは84試合の出場で打率.318、16本塁打、OPS.927、18盗塁を記録したが、メジャーでは26試合の出場に留まった。 ホワイトソックス時代2007年は、シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結ぶ。初出場となった5月1日のシアトル・マリナーズ戦では本塁打を放った。10月3日にはホワイトソックスからのマイナー契約を断ってFAとなった。 オリオールズ復帰2008年は、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結ぶ。傘下のAAA級ノーフォーク・タイズでは129試合の出場で打率.274、13本塁打、OPS.786、13盗塁の成績に終わり、メジャーでの出場はなかった。 独立リーグ、メキシコ時代2009年は、独立リーグであるノーザンリーグのカンザスシティ・ティーボーンズと契約し、シーズン途中からメキシカンリーグのラグナ・カウボーイズと契約を結んだ。 レッズ傘下時代2010年は、シンシナティ・レッズとマイナー契約を結ぶ。傘下のAA級カロライナ・マドキャッツとAAA級ルイビル・バッツでプレーし、計76試合の出場で打率.283、12本塁打、OPS.856、8盗塁の成績を残した メキシカンリーグ復帰2011年は、メキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズに所属。97試合の出場で打率.390、38本塁打、110打点、OPS1.254、30盗塁を残し、最多打点とMVP(最優秀選手)を獲得した[2]。30本塁打&30盗塁はメキシカン・リーグ20年ぶり史上2人目の記録だった。 ロッキーズ傘下時代2011年シーズンオフにコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結びドミニカ共和国のウィンターリーグに参加した。 楽天時代2011年11月にロッキーズオーナーのチャーリー・モンフォートが東北楽天ゴールデンイーグルス監督の星野仙一から相談を受けたことから、楽天の入団テストを受け[2]、12月11日に楽天と契約したことが発表された[3]。 2012年、開幕戦では7番・左翼手として出場し、4月3日のソフトバンク戦で初の4番に座った。しかし、春先から打率は低迷し、最終的にはわずか34試合の出場で打率.153と期待を大きく裏切り、本塁打も5月19日に阪神戦で能見篤史から放った1本だけに終わった。シーズン終了後の11月21日、自由契約選手として公示された[4]。 メキシカンリーグ再復帰2013年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレー。この年はリーグトップの長打率.744とOPS1.209を記録する活躍を見せる。 2014年もレッドデビルズと契約し、シーズン途中からカンペチェ・パイレーツに移籍。 2015年はサルティーヨ・サラペメーカーズと契約。 2016年4月23日にレイノサ・ブロンコスと契約するが、4試合の出場で退団。6月25日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのジョプリン・ブレイスターズと契約するが、7試合の出場で退団する。 選手としての特徴打撃ではメジャー通算の得点圏打率.289と勝負強さを備えるが長打力に欠ける他、変化球への対応に難があり[5]、メジャー通算の三振率25パーセントを記録している。 守備では強肩を誇り[6]外野手3ポジションを守るが、UZR、DRS共に平均を下回る。マイナーでシーズン20盗塁以上を5度記録した俊足も備えるが必要以上に塁を狙うことが多く[5][6]、盗塁成功率はマイナー通算65パーセントと確実性に欠ける。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
Information related to ルイス・テレーロ |