ルスランとリュドミラ
『ルスランとリュドミラ』(ロシア語: Руслан и Людмила)は、ミハイル・グリンカが作曲した、全5幕8場から成るオペラ。 概要
原作はロシアの詩人アレクサンドル・プーシキンが1820年に最初の物語詩として著した『ルスラーンとリュドミーラ』。これを基にしてヴァレリアン・シルコフ、ネストル・クコリニク、ニコライ・マルケヴィチ含む作曲者グリンカら5名が共同で当作品のリブレット(台本)をロシア語にて作成した[2][3]。 当初の構想ではプーシキン自身に台本を執筆してもらうことになっていたが、決闘で受けた傷が原因で亡くなったことから叶わず、やむなく楽曲を先に書き上げ、作曲者グリンカを含む5名が共同して楽曲の旋律に当てはめるなどして後付けで台本を作成するという結果となった[1]。
本作では、設定場面としてフィンランドや悪魔の城などが用意されているほか、幻想的なバレエ・シーンも盛り込まれていることなどから、メルヘンオペラの一つに数えられている[4]。 初演は1842年12月9日(ロシア旧暦で11月27日)、サンクトペテルブルクのボリショイ・カーメンヌイ劇場(石の大劇場;現在はサンクトペテルブルク音楽院)に於いてカルル・アリブレヒトの指揮により行われた[3][5][6]。
演奏時間は、全曲通しの場合、約3時間10分となっている[2]。序曲のみ単独で演奏する場合、演奏時間は約5分[3][7]。 背景『皇帝に捧げし命』の場合に同じく、『ルスランとリュドミラ』にもロシアの民俗音楽の特徴がいくつか用いられている。東方的な要素に加えて、不協和音や半音階、全音音階の想像性豊かな用法によっても名高い。管弦楽法で目立っているのは、第1幕において、スラヴの弦楽器グースリの音色を模してピアノやハープを用いている点である。グリンカが西欧のオペラを多く参考にしていることは、「ファルラーフのロンド」に一目瞭然であり、モーツァルトの『フィガロの結婚』やロッシーニの『セビリアの理髪師』のさしずめロシア版といったところである。はしゃぎ回るような序曲は、多くの楽団がレパートリーの一つに入れているなど、とりわけ名高い。 このグリンカの1作目のオペラは、『皇帝に奉げし命』と並んで、ロシアの国民オペラの基礎を固め、次世代のロシアの作曲家がそれを発展させていくことができるようにした。とりわけ『ルスランとリュドミラ』は、メルヘンを用いたロシア語オペラの模範となり、とりわけリムスキー=コルサコフのオペラに道を拓いたのである。 登場人物と設定
あらすじキエフ大公国のスヴェトザール大公の娘・リュドミラ姫と騎士・ルスランの婚礼の宴席の途中、魔術師・チェルノモールが現われ、リュドミラをさらっていく。大公は、ルスラン、およびその場にいた若者ら(やはり姫に恋している)に、娘を無事に取り戻した者に娘を与えると宣言する。そのため、ルスランを含む若者3人(元の物語では4人)が助けに行く。最終的に、3人のうちのルスランが、魔術や誘惑、他の若者の妨害などを切りぬけ、娘を連れて帰り、2人は無事に結ばれる。 第1幕スヴェトザール大公の宴会場にてリュドミラ姫と騎士・ルスランの婚礼の宴が行われている。招待客らは、真の愛による幸せは苦難の後に得られると予言する吟遊詩人・バヤンの歌に耳を傾けている。姫は、父との別れに悲しみながら、また、騎士・ファルラーフ、王子・ラトミールら(求婚が叶わなかった若者ら)に慰めの言葉を掛け、そしてルスランに身を捧げることを誓い、大公が2人を祝福する。突然、真っ暗となり、落雷の音が鳴る。人々は、呪文により体が動かなくなり、2匹の魔物が姫をさらっていく。灯りが点き、みな体が動くようになるが、姫がいないことが分かり大騒ぎとなる。大公は、姫を取り戻した者に大公国の半分と姫を与えると約束する。3人の若者たちは、姫を取り戻すべく、旅路の支度をする。 第2幕第1場騎士・ルスランは、親切な白魔術師・フィンの洞窟までやって来る。フィンは、黒魔術師・チェルノモールが姫をさらったことと、ルスランこそが魔術師・チェルノモールを倒す人物だと告げる。ルスランは、なぜフィンがこのような荒地に住んでいるのかと尋ねると、フィンは昔話を語り始める。 第2場荒地にて、臆病者の騎士・ファルラーフが、姫を捜す旅を続けようかどうか悩んでいる。そのとき、老魔女・ナイーナがファルラーフに近づいてきて、姫を手に入れ、ルスランを遠ざけてやると約束する。ナイーナが消え去ると、ファルラーフは勝利を確信して大喜びをする。 第3場騎士・ルスランが霧の立ちこめた荒地にやって来る。そこには、過去の戦で倒れた者の骨や武具が転がっている。何がこのような有り様を引き起こしのかと考えると、ルスランは、自分もまた同じようになるのではなかろうかと思い悩む。ルスランは、自分の壊れた武器の代わりに、地面から新しい盾と槍を選ぶが、新しい防具にふさわしい重厚な剣は見つからない。霧が晴れると、「大頭」が登場し、口から息を吹きだし、嵐を起こして、ルスランを吹き飛ばそうとする。ルスランが槍で大頭を打つと、大頭は倒れ、下から剣が現われる。ルスランは剣を手に取り、そして大頭にどこからか来たのか尋ねる。大頭は、息も絶え絶えに、自分がかつては巨人であり、弟の小人が黒魔術師・チェルノモールであると説明した。また、この剣は、兄弟2人を殺す運命をもち、チェルノモールは、運命に抗うために、兄である巨人を騙して首を斬り、この剣の上まで生首を飛ばして、剣を守らせたのだと語った。剣を手にしたルスランに、大頭は、仇を討ってくれるよう頼む。 第3幕若い女中らが旅人を誘惑して、魔女・ナイーナの城に誘い込んでいる。ゴリスラヴァが登場し、ラトミール王子を探している。ラトミール王子は、ゴリスラヴァを恋のとりこにしたあげく、彼女を棄てたのだった。ゴリスラヴァが去った後、ラトミール自身が登場し、女中らの呪文に捕らわれて、魔法で踊りだす。そして、魔女の城に誘い込まれた最後の旅人はルスランである。ルスランは、ゴリスラヴァを一目見たとたん、リュドミラ姫を忘れてゴリスヴァラに恋してしまう。しかし、突然、白魔術師・フィンが登場し、ラトミール王子とゴリスラヴァ、そしてルスランとリュドミラ姫、各々の幸せな未来を予言すると、魔女の城は森に変わり、若者らは、再び姫を救う決心をする。 第4幕チェルノモールの魔法の庭園で、リュドミラ姫は、ルスランを待ちこがれながら、魔術に捕らわれないよう必死に抵抗している。黒魔術師・チェルノモールがお付きの者と登場し、踊りが始まる。トランペットが鳴って、ルスランの到着を告げると、チェルノモールは、眠りの呪文を姫に掛けて、ルスランと戦うために出て行く。暫くもしないうちに、ルスランが登場、勝利の印に、チェルノモールの鬚を兜に絡めている。目を覚まそうとしないリュドミラ姫を目にして、ルスランは、ラトミール王子とゴリスラヴァとともに嘆き悲しむが、魔法使いの助けを得るため、姫を連れてキエフ大公国に帰ることにする。チェルノモールのかつての下僕たちも自由の身となって後から付いてくる。 第5幕第1場月明かりの下、谷間で、姫を連れたルスラン、ラトミール、ゴリスラヴァは野宿する。見張りに立つラトミールは、ルスランの身を案じ、また自分がゴリスラヴァと改めて一緒になれて幸せだという気持ちを表す。突然、下僕たちが登場し、たった今、リュドミラ姫が再びさらわれ、ルスランが姫を捜し求めて出発したと告げる。ここへ、白魔術師・フィンが登場し、キエフ大公国に戻った際に姫の目を覚まさせる魔法の指輪をラトミールにわたす。 第2場リュドミラ姫がスヴェトザール大公の宴会場で眠っている。なんと、臆病者のファルラーフが、魔女・ナイーナの助けを得て、姫をさらってキエフ大公国に戻り、自分が姫を助けたと言うのであった。しかし、ファルラーフは、姫を目覚めさせることができない。馬の足音がして、ルスラン、ラトミール、ゴリスラヴァが到着する。ルスランが魔法の指輪を姫の所に持っていき、姫を目覚めさせる。 場面はキエフ大公国の景色に転換、人々は、神々の名や祖国を称え、若い2人の門出を祝っている。 楽器編成
序曲単独の場合、上記編成からピッコロ、ハープ、ピアノと、ティンパニ以外の打楽器を省いた楽器編成である[2][1][7]。 音楽主要なアリアと楽曲
作品を構成する楽曲
序曲について
本作の序曲は、冒険への序章ともいえる躍動的な作りとなっており、グリンカの全作品の中で最もポピュラーな楽曲の一つと目されているのみならず、ロシアを代表する管弦楽曲とも位置づけられていることから、オーケストラ演奏会において単独で演奏される機会が多い[7][8]。 ニ長調のソナタ形式で、2分の2拍子。主題が本編で使用されている音楽から採用されるなど、西洋の伝統的なオペラ序曲と同じスタイルで書かれている[7][4][9]。 冒頭はトゥッティで忙しなく駆け巡るが如くに奏でられ、続いて弦楽器による目まぐるしい動きを伴う第1主題が登場する。この第1主題は本題のうち第5幕の終末に設定されている婚礼の場で登場する合唱「偉大な神々に栄えあれ!」の旋律が採用されている。暫くするとヴィオラやチェロ等により流麗且つ哀愁を帯びつつ奏でられる第2主題が登場、この第2主題では本題のうち第2幕に登場する騎士ルスランのアリア「雷神よ、腕にかなう鋼の刀を我に与えよ」の旋律が採られている[7][9][10]。 なお、この序曲には速度指示としてプレスト(Presto)が指定されており、グリンカも「全速力で疾走するような」演奏を要求している。そのことも相まって、弦楽セクションの妙技や爽快かつ華麗なサウンドを満喫できるという[7][11]。 この序曲の冒頭部分は、かつて『N響アワー』のオープニングテーマとして使用されていたことがあり、日本ではこのこともまた馴染みやすさと知名度向上に一役買っていたということができる[12]。また、クラシック音楽番組以外でも、1970年代後半に福岡放送のローカルニュース番組「FBSニュースリポート」のオープニングにも使用されたことがある。 脚注
外部リンク
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