ルチアーノ・ブルティ
ルチアーノ・ブルティ(Luciano Pucci Burti, 1975年3月5日 - )はブラジル人レーサー。サンパウロ出身。F1でも出走経験がある。 プロフィール1998年からイギリスF3に参戦し、1999年にシリーズ第2位を獲得した。このとき第3位はF1での優勝経験があり、後のワールドチャンピオン、ジェンソン・バトンであった。この年の暮れに後にジャガーとなるスチュワートをテストし、2000年7月16日にエディ・アーバインの代役としてF1デビューを果たす。2001年にはジョニー・ハーバートの引退に伴い、正ドライバーになった。しかし、4レース出走しただけでペドロ・デ・ラ・ロサと変わることになった。 幸運なことに、プロストのガストン・マッツァカーネのパフォーマンスが芳しくなかったため、彼と変わりプロストより出走することになった。第8戦のカナダGPでは8位でフィニッシュし、また予選でもチームメイトのジャン・アレジより良い成績を残すこともあったが、その後立て続けに後述の大クラッシュを演じベルギーGPを最後に暫くF1から離れる事となり、2004年にフェラーリのテストドライバーを務めるが、その契約も1年で終わった。 現在は母国ブラジルに帰り、ストックカー・ブラジルに参戦。またF1の解説も務めている。 2001年の大クラッシュドイツGPのスタート直後、ギアボックストラブルにより加速出来ないでいたミハエル・シューマッハに激しく追突。ブルティのマシンはほぼ垂直に跳ね上がり、裏返しでアロウズのフロント部分にリア部分が被さる形で落下。反動で表向きに戻ったマシンは横向きのまま1コーナーを直進しタイヤバリアに接触して停止した。 これによりセーフティーカー導入後に再スタートとなり、無傷と思われたブルティも再スタートを切るが、クラッシュにより手を負傷しておりレース中に痛みが悪化する。プロストのマシンにはパワーステアリングが装着されていなかった事もあり、ブルティは運転が困難であるとチームにリタイアを申し出る。しかし、プロストに却下され走り続けた結果、24周目の1コーナーを曲がることが出来ずコースアウトしリタイヤとなった。 ベルギーGPでは超高速コーナーのブランシモンでエディ・アーバインのインについた際にアーバインの左リアタイヤとブルティのフロントウイングが接触。ウイングが脱落しコントロール不能となったブルティのマシンはブランシモンを直進し、ほとんど減速すること無くタイヤバリアにTボーンクラッシュした。ブルティのマシンはコクピットの後ろまでが4重のタイヤバリアに完全に埋もれ、クラッシュしたアーバインもマーシャルと共に救出にあたるが、救出が難航したため赤旗中断となった。 最悪の事態が予想される大事故だったが命に別条は無かった。しかしこのクラッシュはヘルメットがタイヤバリア奥のガードレールに直撃した上、顎の部分には拳程の穴が開くほど凄まじいものだった。脳震盪を起こしていたブルティは48時間後に意識を取り戻したが、入院は1週間に及んだ。意識回復後は短期記憶に問題があった事を後年語った。 この年は残りのレースを全て欠場し、そのままF1の表舞台から姿を消す事となったが、「肉体的に回復するのに時間がかかり、自信を失い、精神的にとても弱かった。でもよかったことは、完治したときはもっと強くもっと成熟していた」と語っている。 レース戦績イギリス・フォーミュラ3選手権
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