レオ・ガメス
レオ・ガメス(Leo Gámez、1963年8月8日 - )は、ベネズエラの男性元プロボクサー。サン・ファン・デ・ロス・モーロス出身。史上初めて最軽量級からの4階級制覇と同一団体(=WBAのみ)の世界4階級制覇を達成した。 本名はシルヴィオ・ラファエル・ガメス。スペイン語で「ライオン」を意味するリングネームの"レオ"は母親の姓から取った。 来歴1985年2月14日、プロデビュー。 1987年4月30日、13戦目でベネズエラライトフライ級王座獲得。8月22日には初防衛に成功。 1988年1月10日、世界初挑戦。空位のWBA世界ミニマム級王座を金奉準( 韓国)と争い、12回判定勝ち。17戦目にして無敗のまま世界王者となった。4月24日の初防衛戦で日本のリングに初登場。東京・後楽園ホールで横沢健二( 日本/三迫)と対戦し、3回TKO勝ち[文献 1]。王座防衛に成功するが、この試合以降、1年半試合から遠ざかり、王座も返上する。 1990年4月29日、2階級制覇を目指し世界再挑戦。WBA世界ライトフライ級王座を14度防衛中の柳明佑( 韓国)に挑む。再三にわたり王者を苦しめたが、12回判定負けで偉業達成ならず。また、デビュー以来の連勝も20でストップした。11月10日、柳に再挑戦するが、ここでも12回判定負けを喫した。 1991年10月5日、フライ級での世界挑戦。WBA世界同級王者金容江( 韓国)に挑むが、ここでも12回判定負けを喫した。 1993年10月21日、日本で2度目の試合(後楽園ホール)。柳の引退・王座返上で空位となったWBA世界ライトフライ級王座を八尋史朗( 日本/帝拳)と争い、9回TKO勝ち。2階級制覇を達成する[文献 2]。その後、1つの引き分けを含み3度の防衛に成功。 1995年2月4日、4度目の防衛戦で元WBA世界ミニマム級王者崔煕庸( 韓国)と対戦し、12回判定負け。王座から陥落。 1995年5月20日、再起戦でWBAラテンアメリカフライ級王座決定戦に出場。同国人の元WBA世界フライ級王者アキレス・グスマンを12回判定に降し、王座獲得。9月18日には初防衛に成功。 1996年3月23日、WBAラテンアメリカ王座在位のまま世界挑戦。WBA世界フライ級王者セーン・ソー・プルンチット( タイ)に挑むが、12回判定負けで王座奪取ならず。 1996年10月7日、WBAラテンアメリカ王座2度目の防衛戦でグスマンと再戦し、12回判定負けを喫し、王座から陥落。その後、2年間リングから遠ざかる。 1998年10月3日、2年ぶりの復帰戦でWBAラテンアメリカ王座再挑戦。同国人のヒルベルト・ゴンザレスを8回KOに降し、王座復帰を果たした。 1999年3月13日、通算12度目の世界戦。WBA世界フライ級王者ウーゴ・ソト( アルゼンチン)に挑み、3回TKO勝ち。ストロー級王座獲得から11年を経て、3階級制覇を達成。 1999年5月29日、WBA世界フライ級王座在位のままWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦に出場。元WBO世界ライトフライ級王者ホセ・カマーチョ( プエルトリコ)を8回TKOに降し、これで4階級制覇達成。なお、この王座はすぐに返上。 1999年9月3日、WBA世界フライ級王座初防衛戦。ソーンピチャイ・クラティンデーンジム( タイ)に8回KOで敗れ、王座陥落。この試合がプロデビュー以来、初のKO負けとなった。その後、1年余りのブランク。 2000年10月9日、3度目の日本での試合。名古屋・愛知県体育館でWBA世界スーパーフライ級王者戸高秀樹( 日本/緑)に挑み、7回KO勝ち。これで正規世界王座4階級制覇を達成[文献 3]。 2001年3月11日、初防衛戦(4度目の日本での試合=横浜アリーナ)でセレス小林( 日本/国際)と対戦し、10回TKO負け。王座から陥落した[文献 4]。 2002年11月8日、シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、オスカー・デ・ラ・ホーヤ(いずれも アメリカ合衆国)に次ぐ4人目の5階級制覇を懸け、WBA世界バンタム級王者ジョニー・ブレダル( デンマーク)に挑むも、12回判定負け。 2003年10月4日、WBA世界バンタム級暫定王座決定戦に出場(5度目の日本での試合=東京・両国国技館)。3年前にスーパーフライ級王座を奪取した戸高と再戦するが、12回判定負け。3年前の雪辱を許す。 2005年12月22日、プーンサワット・クラティンデーンジム( タイ)が持つWBA世界バンタム級暫定王座に挑むも12回判定負け。この試合を最後に現役を引退した。 通算戦績48戦35勝(26KO)12敗1分。WBA世界王座4階級制覇達成 参考文献
関連項目外部リンク
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