七曲署太陽にほえろ! > 七曲署
七曲署(ななまがりしょ)とは、日本テレビ系列のテレビドラマ『太陽にほえろ!』シリーズに登場する警視庁隷下、東京都新宿区矢追町(やおいちょう)所在の警察署。 架空の署名であり、矢追町も架空の地名である。 設定七曲警察署の管轄区域が概ね現実の新宿警察署[1]に相当している。 命名「七曲」は新宿区下落合二丁目と四丁目の境界にある七曲坂に由来しているとの説がある。プロデューサーの岡田晋吉は、制作スタッフの1人「大曲暎一」の苗字「大曲」をヒントにしたと語っている。 この他に「乙女署」・「花園署」という案もあった(七曲坂の付近にはおとめ山公園という公園が実在する。また、新宿一丁目の一部は、かつては花園町との地名であった)。 七曲署の所在地で管轄区域、事件の舞台でもある「矢追町」についても、新宿区に実在する矢来町(やらいちょう)をもじったものという説と、当時日本テレビのディレクターだった矢追純一から採ったものだという説がある。 所在地名刺上での最初は、〒161[4]新宿区矢追町2-1-2[5]。 郵便物の小包上では、〒160[6]新宿区矢追町1-5-1[7]。名刺上での最後は再び、〒161 新宿区矢追町2-1-2[8]。 「殉職」『太陽にほえろ!(PART1)』は足掛け14年に渡り長期放映されたドラマで、レギュラー出演した刑事役の俳優の多くが番組からの“卒業(降板)”に際して「殉職[9]」という形式で退場しているため、テレビドラマや映画を題材として「署員の殉職率が高い警察署」という話題が語られる際には、真っ先に名前が挙がる存在である。 劇中でも島津刑事(デューク)着任時[10]に水木刑事(マイコン)が「殉職率ナンバーワンの七曲署」と言っている。 三上刑事(テキサス)着任の日[11]に矢追町派出所が爆破され三上の先輩巡査が即死するなど刑事たちの所属する捜査第一係以外にも殉職者がいるが、その数が明らかになるのは三上刑事(テキサス)殉職直後の放映開始して四年と数箇月の回[12]で、署長室に遺影が8人ある。この内、5人の遺影は制服を着用しているが早見刑事(マカロニ)[13]、柴田刑事(ジーパン)、テキサスの3人は私服である。 沿革上述の8人は開署以来の殉職者であるので開署がいつなのか問題になるが、詳細は不明であるものの山村刑事(山さん)は、「最初に担当した事件が15年前」と言っており、放映開始直後の回[14]で少なくとも15年は経過していることになる。 捜査第一係捜査第一係の当初の設定は、「警視庁七曲警察署捜査第一課[15][16][17]捜査第一係[18]」[19]なので、藤堂係長(ボス)の直属上長は捜査第一課長であるはずだが演者はなく、署内の上級者も不明確であった[20]。西山署長[21]就任[22]後は藤堂係長の上級者は署長のみとなり、一度目の不在時[23]にも捜査第一係の指揮を執っていた。 後に「捜査第一課」は設定すら消えて所属課が無くなり[24]、二度目の不在時[25]も大和田署長[21]が、指揮者だった。 定員はマカロニ赴任時は6人であったが、次第に最大9人にまで増員した。 劇中では、捜査第一係は係専用のオフィスになっているが、現実では係ごとに個別の部屋を割り振る形にはなっておらず、捜査第一係(強行犯捜査係などの係名にしている警察署もある)はじめ他の捜査係とともに刑事課として大きなフロア内に設置されて2つ以上の捜査係と同じオフィスに配置されている警察署が、ほとんどである。 組織上述のように現実の刑事課長に相当する人物はいないが、捜査係は第四係[26]まであり第四係は暴力団捜査を担当している。当時の警視庁刑事部には捜査第一課から捜査第四課まであり第四課は暴力団担当であったから、これを模している。 二人の婦警は署内からの転属だが、岩城(旧姓:早瀬)刑事(マミー)は交通課と実在する課なのに対し、内田刑事(シンコ)は少年課で実在しない[27]。 捜査第一係に配属になった刑事に係長が、警ら係(警ら課)に行って拳銃を受け取る指示を出すが、警ら課は現在の、地域課である。 管内派出所(現・交番)数は32[28]。刑事たちの言動[29]から城西署[30]が隣接してることがわかる。城西署は、同時期に同じ日本テレビ系列で放送された『大都会シリーズ』の舞台であるが、『大都会 闘いの日々』第4回「協力者」[31]で丸山刑事(演:高品格)が目撃者の報告で「テレビドラマの『太陽にほえろ!』が始まった時間です」と言っており、世界観は異なる。
矢追町は六丁目まであり[32]、他に「南矢追町」という地名もある[33]。
東京消防庁については七曲消防署ではなく、矢追消防署[34]で、これも架空の署名である。
全都バス「宿51 新宿西口‐四ツ谷駅」七曲警察署前停留所下車[35]。 撮影庁舎の撮影は、最初期は渋谷区神南の旧渋谷区役所(東京電力が使用、建て替えられて電力館となり現・シダックスカルチャービレッジ)。後に、正面を世田谷区上用賀にある海上自衛隊上用賀基地内の東京音楽隊の施設(こちらも放映終了後に建て替え)で、屋上が無いので外観全部が写らないようにしていた。屋上は国鉄(現・JR東日本)大久保駅近くの北新宿のビルで行われていた。 脚注
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