上海派遣軍(シャンハイはけんぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。第一次上海事変・第二次上海事変の双方に際して編成、上海に派遣された。
第一次上海事変期
沿革
1932年(昭和7年)1月18日に発生した第一次上海事変に際して、白川義則陸軍大将を司令官として編成。上海において十九路軍と戦闘を行ったが、昭和天皇の要請に従い戦域拡大には慎重に行動した。その結果、5月5日に停戦協定調印にこぎつけた。
また、4月29日には上海天長節爆弾事件が発生し、白川義則はこれがもととなって死亡した。
軍概要
司令官
- 白川義則 大将:1932年2月25日 - 5月26日死去
参謀長
- 田代皖一郎 少将:1932年2月26日 - 6月27日
参謀副長
- 岡村寧次 大佐:1932年2月26日 - 6月3日
司令部構成
隷下部隊
第二次上海事変期
沿革
盧溝橋事件から飛び火し第二次上海事変が発生したため、上海の在留邦人保護のために1937年(昭和12年)8月15日 に臨参命第73号にて上海派遣軍編組が下令された。その後、9月11日に臨参命第101号により上海派遣軍戦闘序列下令。当初は天皇直隷であったが、参謀本部の不拡大方針を押し切り、南京方面への進撃に伴い、11月7日新たに編成された中支那方面軍に編合、12月1日には大陸命第7号にて中支那方面軍戦闘序列が下令された。翌1938年(昭和13年)2月14日に廃止された。
軍概要
- 通称号:無し
- 編成時期:1937年(昭和12年)8月15日
- 廃止時期:1938年(昭和13年)2月14日
- 廃止時の上級部隊:中支那方面軍
- 最終位置:南京
司令官
- 松井石根 大将:1937年8月15日 - 1938年2月14日
- 朝香宮鳩彦王 中将:1937年12月2日 - 1938年2月14日
参謀長
- 飯沼守 少将:1937年8月15日 - 1938年2月14日
参謀副長
- 上村利道 大佐:1937年8月15日 - 1937年11月1日
- 欠員:1937年11月1日
廃止時の隷下部隊
参考文献
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
関連項目
外部リンク